先日植えたかぼちゃのホットキャップと押える金具(針金)の一式が無くなっていた。外されたかぼちゃ苗は寂しく元気がない。メモを貼ることにした。「バカタレ!地獄に行くぞ」、「大人として恥ずかしくないのか!」、「かぼちゃが泣いている」等、色々の文案があったが、結局、「1度目はあまやりでも、2度目は裏切りだ」として貼った 。
SNSに偏った世代と非常なギャップを感じる。彼らの常識はスマホで得たもので、私達には非常識だ。私達の常識は親や社会から学んだが、今ではあらゆる情報の中から、独断と偏見、そして個人優先主義でいっきに自分で選ぶ。これを多様性というのか? 常識・非常識だけでなく、ものの善悪まで多様性で図られる。ホットキャップを盗む行為は、個人優先主義の中では本当に悪なのか?
そんな個人レベルに分断されたギャップを埋めることは困難だ。接点を見つけようとする努力も虚しい。これを正すには数世紀が必要で、密かに暮らすか、「全人類を破滅する」しかない。
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