2025年5月17日土曜日

日割神社の歴史(村の歴史)

天気:雨
1日中雨〜こんな日は体を休めるに限る。寝る人、TVでゆったりドジャース・大相撲を見る人 、理容室で髪を切る人、過ごし方には様々だ。

写真は1,5kmほど離れた所の「白髭大明神」だ。やはり本殿は石垣の上にあるが、日割神社ほど高くはない。天正14年の木曽川大洪水は川沿いの中野村、加賀野井村を襲い大被害を出した。上流から大きな石がゴロゴロと流れ住居を襲い、死者多数で両村は壊滅的な被害を受けた。旧暦6月24日は今の暦で8月9日、死体はいつまでもそのまま腐敗。修行僧が一体づつ掘り起こし弔った。

秀吉が美濃と尾張の国に後始末を指示したのは1589年、築堤工事に着始したのが1593年だ。1600年関ケ原の戦いで世の中が変わり、御殿堤が作られるまでの25年間、村はどうなっていただろうか。  (つづく)

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