彼は「がんで死にたい」と常々言っている。余命宣告され「生」「死」「病」「老」(四苦)を考える時間を与えてくれるからだ。実際の死因(20年12月)は心筋梗塞だった。最初の宣告から8年半〜充分に考えられ、準備も出来た。(ただコロナ禍で葬儀は思うようには出来なかっただろう)
彼の8年半の闘病を見ると、がんに対する研究の進歩を感じる。最初の陽子線治療は当時では最先端で手術や抗がん剤治療を免れたが、15年3月のリンパ節の手術は、現在では大きく変わっている。当時では大手術で「神の手」の医師が、首、腹、背中を切開していたが、この頃から「縦隔鏡手術」「ロボット手術」が始まり、18年から保険適用もされている。腹と首に小さな切開と腔をあけ、ロボットアームでモニターを見ながらする手術で、肺や心臓の負担がなく肋骨を切ったりすることもない。彼の場合は持病の心臓疾患があったから、科学の進歩がもう少しだけ間に合っていれば・・・と思う。
私の「多発性骨髄腫」も不治の病といわれているが、研究が進められている。ノーベル賞学者本庶佑氏の「オプジーボ」も同分野のリンパ球T細胞の研究だという(骨髄腫はB細胞)。自分ではどうしようもないが、治療を続けながら研究に期待する。
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