2013年10月31日木曜日

小布施堂 &野沢菜漬

天気:晴れ時々曇り
この時期になると、どうしても「栗」に食指が出るらしい。
生栗を手に入れたら、焼き栗、栗ご飯を食べて渋皮煮を作る。そして、近くの和菓子屋さんと、『すや』の栗きんとんを30個以上食べて、最後はここにたどり着く。
栗の郷600年、信州小布施町の「小布施堂」の、栗むし羊羹、栗羊羹、栗落雁がネット購入で届く。ここの技はプロの技で、真似の出来る和菓子屋はない。これが栗のフルコースだが、さらに小布施堂の『朱雀』(モンブラン)があれば、もう死んでも良い。現地だけで、かつ限定品で今年も10/20で終了している。

春蒔きの野沢菜で醤油漬を作ったが、秋蒔きの収穫をした。春蒔きに比べると虫の被害は少ないが、無農薬だからどうしても網目模様は避けられない。それでも約5kgを収穫して、まずは荒漬けをする。良く洗浄して塩分は3.8%にして、漬物たるに入れた。
1週間~10日ほど漬けて食べられるが、醤油漬けやぬか漬けの本漬けはそれからだ。


2013年10月30日水曜日

キンリョウヘン:白麗

天気:晴れ時々曇り
待望の「金稜辺」が届いた。ネットで購入したもので、長崎県対馬市から送ってきた。品種は、金稜辺としては新しく平成11年に作られた「白麗」だ。
あッ~そうですね。金稜辺って何なのか、解かりませんね。
金稜辺は”蘭”の1種で 花の匂いが日本みつばちを誘引する特徴があるのです。貴重な金稜辺を育てるのが趣味の 日本金稜辺蘭連合会の皆さんには申し訳ないが、養蜂家にとっては日本みつばちの誘引の道具なのです。ですから、蘭の良し悪しはわかりません。(写真中は金稜辺の番付表) 念のために、西洋ミツバチには効果はありません。

春の日本みつばちの分蜂時に、巣箱の側に置いて巣箱に取り込むのです。今年の春までは、元巣の近くに大きな柿の木があり蜂球を付けていたが、果樹園にはまだ大きな木がない。分蜂板、桐の丸胴などを駆使するするが、最後の技だ。
問題は、分蜂時にタイミング良く花が咲くか どうかだ。この時期に花芽をつける。この金稜辺にも芽があるが、どれが花芽で、どれは葉芽かが判らない。



2013年10月29日火曜日

葬られた戦争履歴⑨:挺進第1連隊

天気:曇り時々小雨
1941年(昭和16年)
  5月26日 竜江省平安鎮 着
    6/10~7/10 白城子陸軍飛行学校で航空勤務

ところが、
  7月15日 非南病院 入院 (8/16 退院)
  9月11日 内地移駐の為、平安鎮 出発
  9月18日 広島 宇品港 着
何が起こったのか。敵国に落下傘の訓練状況を悟られない為に、浜松陸軍飛行学校から満州のこの地に移駐して、白城子陸軍飛行学校教導飛行団を編成をしたが・・・。
緯度的には北海道稚内より北にあり、一日の寒暖の激しい大陸気候は苛烈であり、設備がそれに伴っていなかった。病気になる兵が続出で訓練にならず、僅か3ヶ月で内地に帰還することになった。内密で行動であったが、陸軍内部(東条大臣)での組織連携、意思決定がいかにも御粗末であったかだ。
   9月24日 宮崎県児湯郡新田村 着 (現 児湯郡新富町)
          陸軍新田原飛行場
10/3陸軍挺進練習部と改称して、同飛行場で降下訓練を実施している。世界の情勢はますます厳しく、開戦準備の作戦、編成が続く。
  11月5日 教導挺進第1連隊に編成、転属
   同日    同  第1中隊付
教導挺進第1連隊は4個中隊、挺進飛行隊、材料廠で編成されて、
  12月 1日 挺進第1連隊と改称 パレンバン作戦に動員下命
  12月 4日 挺進飛行戦隊(4個飛行中隊、1個飛行場中隊)編成完結

12/8 アメリカ合衆国戦線布告(真珠湾攻撃)太平洋戦争突入し、陸軍は南方進出し、マレー半島上陸を進める。12/17 挺進団は航空総監属を離れ、南方軍指令官属となる。
  12月13日 宮崎県児湯郡新田村 出発
  12月19日 門司港 出帆 (明光丸
しかし、明光丸は海南島(中国)三亜港沖で沈没・・・・・

  

2013年10月28日月曜日

首長失格 &つるし柿を作る

天気:晴れ
みずほ銀行、阪急阪神ホテルズ、大島町、JR北海道、日本プロ野球機構、・・・ etc。
いずれも、最近、社長またはトップのガバナンス力不足により、問題を発生させている企業です。何故、こんなに問題が発生するのでしょうか?
もちろん、ガバナンス力 の資質がない人がやっているのが問題なのか、組織が能力以上なのか。しかし、いずれも共通しているのは、顔の向いている方向が違う。株主や有権者ばかりが気になり 、顧客や社員、町民に向いていない。
世界の政治のリーダーも最近は内向きな人が多く、いつ問題が起こるか心配ですね。
 
朝から、渋柿をむく。60個を剥くのは、結構大変で、いまは肩こり状態だ。途中、翔君が応援に入ってくれたが包丁では無理で、ピラーで1個剥いてもらった。助かりました。
2時間かけて剥いた柿を、沸騰した湯に1分間浸ける。これは、煮沸と表面の包丁跡を消すのが目的です。雨のあたらない軒下で、2週間吊るす。

2013年10月27日日曜日

渋柿

天気:晴れ
屋敷の 周りに5本の柿の木がある。3本が次郎柿、1本が富有柿、1本が名前も判らない渋柿だ。
毎年、この渋柿でつるし柿を作る。100年以上の樹齢のこの老木は、ここ2年は26個、25個の収穫と元気がなかった。が、暑い夏だったのに、今年は60個の収穫となった。数個は柔らかくなっているのもあるが、よく頑張って実をつけてくれた。
 
気温も、湿度も低くなり、つるし柿を作る条件が整ってきた。雨が降ったり、湿度が高いと必ずカビが発生するのだ。皮を剥いてビニール紐で結び、沸騰した湯で約1分間煮沸し 外に吊るす。その後は2度焼酎で殺菌をする。

2週間ほど上手く干せれたら、4年ぶりに、柿の中に白餡を詰めて、鎌倉小町通りの「源吉兆庵」の『粋甘粛』を作ろう。(2009:12/2参照)

2013年10月26日土曜日

家でこんにゃくを作る:大きな胴鍋

天気:晴れ(風が強い)
豆腐はいつも一丁しか出来ない。沸騰させる鍋もさることながら、型が1個しかないためだ。ところが、大きな鍋が見つかった。今回はこんにゃくを茹でるのに使う。
 
今年は、こんにゃくいもが4個収穫出来た。3個目の芋を使ってこんにゃくを作る。収穫した時は960gあったが、乾燥して830gになっていた。
前回(10/7)同様、サイコロカットした芋をミキサーにかけ 、煉って練って 凝固剤(生石灰)入れて固める。全体で3600gのこんにゃくが出来た。市販のこんにゃくは1枚250gだが、今回は300gで12枚にする。前回は茹でる鍋が小さく 2つの鍋で茹でたが、そば用の大きな胴鍋をつかう。湯を沸かすだけで30分もかかるが、一度にこんにゃくを茹でられる。

茹でたてのこんにゃくを、待ちかねている2軒に届けた。そして、我が家では、刺身こんにゃくとみそ田楽のこんにゃく定食だ。
こんにゃくはあまり栄養はないが、ダイエット食品で 美味しい。孫の翔君も大好きだが、フランス人の長女の夫君はどうも苦手のようだ。歯ごたえが、あるのかないのかが判らないからだ。 



2013年10月25日金曜日

葬られた戦争履歴⑧:白城子陸軍飛行学校

天気:雨
陸軍病院で「脚気」の療養をしていた1940年(昭和15年)の日本は?
今でも「1940年体制 」と言われる大政翼賛会発足の年だ。日中戦争が長期化し、アメリカとの決戦も視野にいれて、軍部を中心とした一党独裁の政治・経済システムで、国家社会主義的な戦時体制がますます出来上がっていった。
6ヶ月の療養期間で原隊(野砲兵38連隊)に復帰が叶わなくなった父は、補充隊(真野隊)に籍を置きながら身の振り方を模索していた。隊長からの情報だと思われるが、「陸軍 機動部隊要員」を志願し、
翌1941年(昭和16年)、
  1月24日 機動部隊要員志願 第二次身体検査
         (陸軍 航空技術研究所にて)
  2月 1日 浜松陸軍飛行学校出向(練習部練習員)
  3月 1日 陸軍伍長に昇進
   3月30日 浜松陸軍飛行学校で航空勤務
しかし機動部隊とは?

日中戦争以降、戦場が広地域になって行くと、海軍は戦艦から空母での作戦、陸軍も爆撃機による作戦に変化していった。列強各国も航空機中心の作戦を取り、空軍を独立させたが、日本国では空軍の設立まで至らず、両軍の運用となっている。その陸軍の航空機を使った機動部隊は、落下傘部隊であった。 1940年(昭和15年)5月 ドイツ軍が西部戦線で大規模な空挺作戦で効果を出しており、日本国は南方進出に合わせて、落下傘部隊の研究が始まった。
同年11月30日 浜松陸軍飛行学校練習部臨時編成の要領:(落下傘部隊に関する調査・研究及び試験を行う) が発令。1個中隊(将校25名、准士官以下45名)の編成で、翌年1月に軍から選抜された。兵は1ヵ月の地上訓練ののち、読売遊園地(二子多摩川)の落下傘塔で降下訓練をした。・・・父は2/1~3月末まではこの訓練に参加していたのだろう。

5月15日の軍令で白城子陸軍飛行学校練習部と改称。満州竜江省の白城子陸軍飛行学校に移駐する。理由は400人以上となった大量の要員養成を、諸外国に知られない 為という。
  5月16日 浜松出発~広島宇品港
  5月23日 大連港 上陸
  5月26日 竜江省平安鎮 着
         6/10~7/10 白城子陸軍飛行学校にて航空勤務
ところが・・・

  

         

2013年10月24日木曜日

家で作る豆腐、豆乳、うの花

天気:雨
特別の時には、家で豆腐を作る。普段は近くの豆腐屋さんやスーパーで、なるべく美味しそうな豆腐を買う。今回は「美味しい湯豆腐を食べたい」という特別だ。
家で作る豆腐は450g程度の1丁分しか出来ない。というのは、300gの大豆で「呉」を作って、一番大きな鍋でも 沸騰すると溢れてしまうからだ。(写真上)

豆腐を作る時は、必ずコップ1杯の豆乳を飲む。家で豆腐を作る特権だ。まだ温かい豆乳は、あっさりしているが濃い 。(写真中)
・・・美味しいよ。


豆乳ににがりを入れて凝固をする。型に入れて、重石をする。最後は水で、にがりを抜く。1時間30分で出来上がり。(写真中)






豆乳を分離した「おから」が600gが出来る。豆腐の副産物だが、これで出来る「うの花」が、健康食品でまた美味しいのです。
豆腐同様、日本料理の代表だが、海外にも普及したいですね。



2013年10月23日水曜日

受粉用苗の植樹

天気:雨
昨日、果樹の苗を植えるにはちょっと早いが、受粉用の苗を植えつけた。いずれも、異なった種類の受粉が必要な果樹類だ。

りんごの元木は「津軽」で植えつけて3年。かなり大きくて、今年の春には花が咲いたが受粉が出来なかった。今回植えた苗は「王林」だが、花をつけるのは、2~3年後になるか。青いりんごと赤いりんごのなる風景が目に浮かぶ。写真上・・右が「津軽」、左が「王林」、奥はアプリコット。



さくらんぼの元木は「佐藤錦」で4年目。まだ高さ1m強で幼いが、今
年の春には15個ほどの実をつけたが、結実しなくて途中で落ちてしまった。 今回植えたのは「ナポレオン」。フランス代表と日本代表で相性は非常に良い。花をつけるのに2年目か。写真中・・右が「佐藤錦」、左の小さい苗が「ナポレオン。


栗の元木は自信がないが多分「利平」だろう。4年経過して、昨年から沢山の実をつけているが、8月頃から落下してしまう。今年も栗が採れたのは3個だけだった。元木に自信がなかったが、「丹沢」を選んだ。花をつけるのは3年後だろう。しかし、元木が「丹沢」だったら、来年はもう1本必要だ。
写真下・・右が「利平」、左がびわ、その間に「丹沢」。手前には白いちじくとブルーベリー。

2013年10月22日火曜日

葬られた戦争履歴⑦:脚気

天気:曇り
前回は、野砲兵38連隊で広東に出兵したが、僅か1ヵ月で、「南京下士官候補隊」への入校が決まったと書いた。しかし、その決定が何処で、何を基準でされたのかは判らない。

1939年(昭和14年)12月10日に「南京下士官候補隊」に入校した。約5ヶ月の教育を受ける予定だ。ところが、4ヵ月後の
 4月9日 南京陸軍病院に入院(脚気)。
脚気はビタミン不足が原因で、心不全、抹消神経障害をきたす病気で、下肢のむくみ、しびれがでる。当時の日本の脚気事情を調べる。明治から昭和初期にかけて大流行し、「結核」とともに二大国民病であった。年間の死亡者数も1923年(大正12年)26796人をピークに、1938年(昭和13年)まで2万人前後で推移している。明治時代から、ビタミンB1を含まない白米の普及が原因と考えられ、1939年(昭和14年)12月1日 白米の禁止と7分つき米の強制が法制化されている。
  5月16日 広島  上陸 ( 陸軍病院収容)
  5月28日 名古屋陸軍病院笹島分院 転送
  9月 6日  同        下呂分院 転地療養
 10月11日  同     東練兵場分院 収容
 
 10月22日 中部第八部隊 真野隊に編入
約6ヶ月半の療養生活を経て、野砲兵第3連隊の補充隊である真野隊に編入している。(原隊である野砲兵38連隊には復帰していない。)
しかし、戦争の最中でも一兵卒であっても、完治するまで大事にしているのは意外であると思われるが・・・。
だから、一方で
 4月 29日 勲八等 瑞宝章を叙勲(支那事変の功)
12月  2日 陸軍兵長に昇進
父の熱い気持ちは変わらず、陸軍が新たに編成する機動部隊に志願する。


2013年10月21日月曜日

またスズメバチ &あんぱんとダイエット

天気:晴れ
この時期、TVでスズメバチハンターの特集が良く見られる。もう・・だと思ったが、「まだまだ」だ。家の軒についている、アシナガバチ(スズメバチ類)も、まだ巣に残っている。
2日前巡回の為、果樹園に行くと、みかん1号にスズメバチが1匹が現れていた。家から、捕獲セットを持って駆けつける。その時はいなかったが、すぐに一匹で 現れた。ミツバチ達も応戦体制で、巣門に沢山の数で守ろうとしている。
たも網を振り回して捕獲したが、この後は必ず仲間が来ると予想して、巣箱の屋根の上にネズミ捕りマットを置いた。
3時間後、外出から帰って見に行くと、案の定、そのマットに4匹の大きなスズメバチがもがいていた。そのままにして置くと、ますます集まる為に持ち帰り、薬殺した。
・・・まだまだ、油断が出来ない。
 


あんぱんを焼く。つぶ餡は、2日前に作っておいた。1個あたり、餡は48gも入れた。もちろん、黒ゴマは自家栽培したものだ。
もうひとつは、栗の渋皮煮を4粒づついれた、カンパーニュだ。

今、長男、子女の夫、私との男3人は共通に肥満体質になっている。長男はすでにダイエットに成功して、ここ2ヶ月で6kgも減り、見た目にもスリムになった。私も、今月の定期血液検査で肥満の指摘を受け、体重計に毎日乗って2kgほど減っている。
しかし、あんぱんは絶対ダメですよね! あ~あ  気にしながら、1個半食べてしまった。




2013年10月20日日曜日

翔君の七五三 &妻の誕生日

天気:雨
翔君の七五三のお祝いを、一宮市の真清田神社で行う。

男の子は数え年3歳と5歳に、女の子は3歳と7歳時にする行事だ。3歳時は髪置き儀、5歳時は袴儀、7歳時は帯解き儀のお祝いの儀式なのだが、神社での祈祷をするのが習わしとなっている。その中でも3歳時は、大きくなっても記憶には全くなく、記念写真だけが残る。が、一番かわいい時期で、行う子が多い。

翔君も朝6時に起こされ、良く解からない着物を着せられ、写真を撮るため無理やりポーズをとられ、幾分、不機嫌状態だ。
今日は雨にもかかわらず、真清田神社では大声で泣く3歳児が多かった。
今日は妻の○○回目の誕生日。朝からお祝い(?)のメールが沢山入る。七五三のお祝いの昼食から帰ると、留守の玄関にバースデーケーキが、置いてあった。知人の方からのプレゼントの「コクリコ」のケーキだ。(写真下)
夜は 長男がお祝いに、ステーキレストラン「紅花」に予約をしてくれた。店では、誕生日のお祝いをサービスしていただいた。(写真右)
 
今日は、盆と正月が同時に来たようだ。



2013年10月19日土曜日

伊藤勝寛ピアノリサイタル

天気:雨のち曇り
知り合いの方から、ピアノリサイタルのチケットを頂いた。明日は妻の誕生日で、一日早いがちょうど良いから一緒に行こう。地元の信金が主催で、当地出身の新進気鋭の音楽家のリサイタルを開いている。今回は、30歳の東京音大ピアノ科卒の「伊藤勝寛」さんのピアノリサイタルだ。
 プログラム
・ラフマニノフ・・・プレリュード
・ベートーベン・・ピアノソナタ嬰ハ短調「月光」
・ドビュッシー・・・ベルがマスク組曲より「プレリュード」「月の光」
・リスト    ・・・ラ・カンパネラ    
 休憩
・ラヴェル  ・・・水の戯れ
・バダルジェフスカ・・乙女の祈り
・ショパン・・・子犬のワルツ、夜想曲嬰ハ短調「遺作」、幻想即興曲
・リー・ハーライン・・星に願いを
・岡野貞一・・・ふるさと
・リスト・・・パガニーニによる大練習曲6番

同級生も聞きに来てる地元の演奏で、丸2時間の熱演で素晴らしい。
自分の事切れる時には、こんな曲がかかっていると良いなと思いながら聞いていたが。

2013年10月18日金曜日

バラの植え替え

天気:曇り時々晴れ
今年の春に、妻の企画で花壇を作った。この時期、2本のダリアが満開です。
しかし、そろそろ秋の模様替えが必要かな。ホームセンターに行き、「アメジストセージ」「ユリオプスデージー」「ジプソフィジプシー」の草花と、なぜかシャクナゲを2本購入。

大事なのは、春に長男が買ってくれた鉢植えのつるバラが、どんどん大きくなって、根が鉢から出てしまって植え替えなくてはならないのだ。なんとか場所はあるが、植え替えるのは結構大変!
深さ30cm、直径40㎝の穴を掘り、底に軽石を敷く。入れる土は、牛糞堆肥、パーライト、元肥を混ぜて作る。

翔君は、今日1日付き合って手伝いをしてくれた。 しかし、根気のある子で、自分でポットを持ち出して、土を入れ続けた。誰が教えたのだろうか。


2013年10月17日木曜日

葬られた戦争履歴⑥:野砲兵38連隊

天気:晴れ
1939年父の最初の配属は野砲兵38連隊第2中隊であった。激化する中国戦線の南支広東省の治安警備の為であったが、実際は参戦のようだ。
連隊は大隊3個、観測中隊、連隊本部で編成され、大隊は中隊3個、大隊本部で、中隊は小隊3個、小隊は分隊2個で編成されている。分隊は砲1本に下士官(軍曹~伍長)1名、兵7名、馬12騎だ。総兵数が600~700の集団で連隊長は大佐級が就く。一等兵の父は分隊の一員で砲を曳いていただろう。
  10月13日 大阪港出帆
  10月20日 南支 黄浦港上陸
  10月23日 南支 敦厚 到着~警備
ところが、ここで急遽、「南京下士官候補者隊」入校の辞令。南京にある支那派遣軍(中国戦線の総指令軍)直轄の教育機関で、5ヶ月の教育を経て原隊に復帰するのだ。
  11月26日 敦厚 出発 (27日砲兵上等兵に昇級)
  12月 7日 上海港 上陸
  12月10日 南京下士官候補者隊入校

卒業して復帰予定の野砲兵38連隊(昭和16年山砲兵38連隊に改編)は、昭和16年12月まで南支戦線の各作戦に参加。同年12月の太平洋戦争の開戦後は南方軍に派遣、ガタルカナル作戦に参戦するも敗戦、ラバウル防衛戦のまま終戦。編成中に亡くなった兵は680名を超える。
父が順調に卒業して原隊復帰をしていれば、山砲兵38連隊で戦死した可能性が高い。

2013年10月16日水曜日

預かり保育のパン作り実習

天気:雨のち晴れ
雨がやんでも、風が強い。台風26号は伊豆大島に甚大な被害を及ぼしている。人類は自然現象には勝てない。地震、津波、雷、竜巻、台風、~豪雨、豪雪等の自然現象には、人は常に臆病で逃げるしかないのか。いや、常に臆病で逃げるのが、人類が積み重ねてきた知恵ではないだろうか。

久し振りに石窯でパンを焼く。久し振りと言うのは、この夏の暑さでは火を焚くのが難しくて、ホームベーカリーで食パンを食べていたからだ。
今日は翔君の預かり保育を兼ねて、二人でパンを焼く。生地作りからパンを焼くまで、助手の役目を辛抱強くこなしてくれる。パン、パンと言いながら全ての工程を理解していて、ママが迎えに来ても途中では帰らない。自分で作った小さなパンを、石窯の前で焼きたてを食べて 『おいちいね』。 焼き上がった自分の好きなパンを、きっちり紙袋に入れて持って帰った。・・・翔君は、本当にジージのパンの、違いの判る男だ。


2013年10月15日火曜日

秋の味覚

天気:雨
豆名月が近い。・・・17日が十三夜。

その豆の収穫が始まる。大豆は目黒、黒豆は丹波を今年も作っている。この時期に茹でて食べるのは、丹波の黒豆が一番。それも、畑で食べるほど収穫したてがよい。すぐ食べらなければ、すぐ茹でて冷凍保存が良いかもしれない。食べすぎ、飲みすぎに気をつけましょう。

何処の畑でも、さつまいもの収穫が始まった。遅くなり大きくなると、ねずみの餌になってしまうから、収穫して保管する。しかし保管もカビが発生するから難しい。今年は石窯でうまく焼くのにチャレンジ、あまり大きくなく、一人で1本食べれるサイズが良い。

先日木曽川の河畔でゲットした「ツルウメモドキ」を、妻が活ける。まだ実がはじけていないから鮮やかさがない為、庭のダリアを挿す。秋の生け花だ。


2013年10月14日月曜日

翔君刺される!

天気:曇り時々晴れ
次女宅の蜂蜜を取ることにした。
巣門を入れて4段になっているので、最上段の蜜を採り、下に1段を追加し、最下段の巣門も交換の手順だ。
最上段を開けるときれいな9層の巣があり、スムシも全くいないが、巣房の蜜はほとんどが空っぽになっていた。(写真上)この暑い夏のミツバチの食料となったようだ。
新しい巣箱を設置して、残っていたミツバチが移動を始めた。(写真中)
と、その時、1匹のミツバチが、孫の翔君を目がけて飛んでいった。たまたまネット帽をはずいていた顔を狙った。側にいた次女がパッとはらうと、今度は髪を狙ってやってくる。刺されたのか、大声で泣く。病院に電話するが、今日は祝日で休み。救急車を呼び、病院を捜して運んでもらった。医師にも見てもらい、幸いにも、ほとんど腫れもなく痛がらないようになった。
これで、ジージ、パパ、翔君と三世代の男達がミツバチに刺された。念のために、バーバ、ママは刺されていません。

写真下は、今日の夕方に巣箱の掃除をしていて、刺されたジージの腕。まともに刺されると、15分間で5cmほどが腫れあがってしまいます。

2013年10月13日日曜日

村祭り

天気:晴れ
<村祭り> 作詞・作曲 不詳
村の鎮守の 神様の
今日はめでたい 御祭日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる 笛太鼓

年も豊年 満作で
村は 総出の大祭り
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
夜までにぎわう 宮の森

治まる御代の 神様の
めぐみ仰ぐや 村祭り
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
聞いても 心が勇み立つ

今日は 村祭り。五穀豊穣を感謝して神輿が出る。男と女の子供獅子と大人神輿で練り歩く。専業農業がほとんどいなくて、五穀豊穣といわれてもピンとこない。わざわざ帰郷する人も少なくなり、料理を作って待つこともなくなった。
それでも、焼きさば寿司を作り 、妻はスウィートポテトを作った。

2013年10月12日土曜日

稲沢祖父江サンドフェスタ2013


天気:晴れ
50年ほど前の記憶では、かってのこの地は木曽川の堤防から河岸に向けて砂浜がずーと拡がっていて、幼いながら水辺には歩いて辿りつかなかった。堤防にはポプラ並木もあり、題名は不明だが石原裕次郎が馬に乗る映画のシーンをここで撮ったと聞いた事がある。
今では国定、県立、市営の広大な産つの公園となって、25年前から「サンドフェスタ」が開催されている。
25回目の今年も、今日と明日の2日間にいろいろなイベントが催されている。翔君を連れて、午前10時に会場に行く。最初は宝さがし大会だ。砂山に隠されたカードが入った袋を探すのだが、ねらいは折りたたみ自転車だ。しかし、とんでもない多くの人が参加していて(写真上)、総数500枚のカードは見つからない。翔君も懸命に頑張ったが・・・。
会場には10日前から作られていた、「砂の造形展」のコンテストが開かれている。(写真中)その前では、サンドアート体験コーナーがあり、沢山の人が50cmほどの砂の円柱を削っている。(写真下) 翔君もチャレンジ!元来子供は砂遊びは大好きだから楽しそう。
会場内では飲食店コーナーがある。色々な食べ物もあり、地元産の農産物、銀杏、みかん等も出店している。
また、広い敷地にはバーべキューやバードウォチングの出来る場所も沢山あり、一日中遊べる。
明日は、ビーチフラッグス大会があり、緑地公園でもふれあい動物園等のイベントがある。・・・是非お出かけ下さい。


2013年10月11日金曜日

ツルウメモドキ

天気:晴れ
今日も暑く、蚊も多い。
体温の高い翔君は蚊のエジキ。右頬をチクリ!
もう全身ネットですっぽりだ。

その翔君のパパを連れて、和くるみの収穫に行く。しかし、くるみは2回目で、今回は、くるみの木の側にある「ツルウメモドキ」を収穫するが主目的だ。 前回時(9/27)はまだ実も緑色で早かった。実が黄緑になっていれば良いが。
ツルウメモドキは実がみのると、皮がはじけてオレンジ色の種が出てくる。さらに経過すると、種が梅形に広がる。盆栽で作るのが定番だが、自然のツルウメモドキは生け花、造花、リースに使われる。花言葉は、真実、開運、大器晩成で・・・嬉しい花だ。

今日のツルウメモドキは、すでに少しづつ皮がはじき始めていて、まさにちょうどの収穫時だった。(写真中) 実が落ちないように、新聞紙に包んで大事に持ち帰り、庭のテーブルの上に拡げた。(写真下) 
このまま実が赤くなったら美しいが、しばらくは水あげが必要だ。