国家総動員法の施行後(1938年5月)、はやる気持ちを抑えられず 父はその年の12月1日付で入隊をした。すぐに新兵訓練が行われるのだが、最初の5ヶ月間の内容は「軍隊手帳」には記載されていない為に不明だ。
一般的には(徴兵、志願兵とも)新兵訓練は、基礎訓練から実役まで約2年間のようだ。その間に適正に応じた兵種を選び、下士官候補 又は、まれに士官学校への進級も可能であった様だ。その期間に階級も上がり、半年で2等兵から1等兵に、1年で上等兵に、2年ごの訓練終了時点で兵長になるのが普通だ。
父は第3師団野砲兵第3連隊(名古屋)に入隊。
連隊名は編隊地を表して、第1師団は東京、第2師団は仙台、第4師団は大阪、第5師団は広島、第6師団は熊本で、いずれも編隊時期が明治17年と歴史のある師団だ。まずは、5ヶ月の座講を含む訓練。軍隊手帳に記載の勅諭や軍法の教育であったのだろう。
最初の実役の辞令は 1939年(昭和14年)5月1日
第3師団野砲兵第3連隊補充隊第二中隊 砲兵二等兵
そこで約4ヶ月は実戦訓練をしていたと思われる。(転戦実績がない)
同年9月19日・・・野砲兵(山野砲兵)第38連隊
同年9月23日・・・同上 第二中隊
野砲兵第38連隊(名古屋)は中国戦線の為に6月30日に編成されていた。
父は10月1日付けで砲兵一等兵 に昇進し、中国南支戦線に行く。(10月13日出帆)
出国前には、どんな気持ちで 帰郷していただろう。
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