2013年9月30日月曜日

葬られた戦争履歴④:何故軍人に?1938年(昭和13年)に何があったのか

天気:晴れ
1937年(昭和12年)の盧溝橋事件から始まった支那事変の戦況はますます激しさが増していた。国内も熱く戦時体制を強化していった。

一方で、1938年(昭和13年)の父はどうだったのか?
戸籍謄本を調べると、父は五男四女の長男であった。生まれたのは1917年(大正6年)12月だ。しかし、不幸にも長女の姉は1925年(大正14年)に9歳で死亡、次男の弟が1935年(昭和10年)に17歳で亡くなっている。
そして、問題は1937年(昭和12年)からだ。四男の弟が8歳で7月に死亡し、祖母が10月に、そして、祖父が3ヶ月後の1938年(昭和13年)1月に亡くなっている。半年に3人の家族を失っていて、父にとっては相当な悲しい出来事であったに違いない。

当時の徴兵制度があり、満20歳になると4~5月に徴兵検査を受け、合格すると翌年1月には入隊する。兵役期間は陸軍2年、海軍3年だ。ただし、戸主と長男は兵役から免除される。
満20歳になっていた父も、1938年(昭和13年)4~5月に徴兵検査で甲種合格になった。が、父は、長男で家業の農業に従事しており兵役免除の対象者で、むしろ同年で17歳となっている三男が20歳になれば兵役義務があった。父が兵役に服すれば、三男は次の免除対象者となる。

1938年(昭和13年)12月1日付けで志願兵として入隊した。種々の要因が考えられるが、軍人を志願した本当の理由は判らない。しかし、社会が支那事変、国家総動員法の施行など激しい勢いで変わってゆく中、不安や危機、そしてナショナリズムの高揚も感じていたかもしれない。


2013年9月29日日曜日

栗はどのようにして食べますか?

天気;晴れ
果樹園に1本の栗の木が植わっている。昨年から数個の栗が生るが、実る前に落ちてしまう。
ようやく判ったのは、栗は1本では実らないということ。異種受粉が必要だったのです。いくらミツバチ達が頑張っても。

ところで、栗はどうして食べますか?スーパーで1kg、500gで売っている生栗のことです。
まずは、焼き栗~オーブントースターで焼くのだが時間がかかる。が、一番美味しい食べ方。茹でるのも良いが、皮を剥くのが大変だ。
先日は、1kgの生栗を使って美味しい「栗ご飯 」を作った。(写真中)
今回は、「栗の渋皮煮」を作る。1kgのおに皮を剥いて、重曹を入れたお湯で2回も茹でこぼしをして、筋皮を取り除く。次に、灰汁取りのために、3回の茹でこぼし。最後に砂糖シロップを少しづつ加えて弱火で3時間煮詰める。
・・・皮まで柔らかく、しっとりとして本当に美味しい。和菓子として食べるのもよいが、カンパーニュに丸ごと入れる予定だ。


2013年9月28日土曜日

葬られた戦争履歴③:何故軍人に・・1938年

天気:晴れ
前回、入隊前の昭和初期の社会情勢を調べたが、父が軍人になる理由を推測できるものが見つからない。しかし、手がかりは 1938年(昭和13年)にありそうだ。

前年の7月に盧溝橋事件から支那事変に突入して、中国との戦争は日毎激しくなっている、その年の12月には南京大虐殺の南京陥落、翌年1938年(昭和13年)2月には重慶に空爆、3月には最近写真が公開されて話題の上海掃討作戦が、5月には「麦と兵隊」の徐州を占領し、ますます戦況拡大されてゆく。
国内では支那事変に合わせて、近衛内閣は「国家総動員法」を4月1日に公布、5月5日には施行する。これは前回にも書いたように、全ての人的・物的資源を政府が統制するというものであった。
企業は国家の要求に生産を集中し、軍需を優先し民需は最低に切り詰める。労働者の雇用、賃金、労働時間なども国家が統制する。物価も統制され 、言論出版も統制の対象として、掲載制限する事となる。・・・ この「国家総動員法」は父が軍人になるきっかけの一端になったかもしれない。

 政府のプロパガンダはすざましく、2月16日に内閣府情報局から発刊された「写真週報」のタイトルが物語る。
 ”街に溢れる愛国行進曲” ”見よ、試練の日本 銃後の力 ” ”犬も戦士”
 ”一戸一品献納 折れ針も立派な武器になる”
 ”溢れる赤誠、旗の波”
 
国民はだんだんと国家の罠にはまって、戦争に巻き込まれていったようだ。
*次回は1938年(昭和13年)の父~入隊

2013年9月27日金曜日

和くるみの収穫

 天気:晴れ
今年の和くるみは粒が大きい。(写真上) 直径が5cm弱もある。もちろん皮を剥いたらその分小さくなるが、暑さが良かったのか出来が良い。

毎年、9月末のこの時期に 友人と和くるみの収穫と、うめもどきの採集に出かける。 場所は木曽川の河畔~午前9時に現地待ち合わせする。
河畔は胸の高さまである雑草に覆われているし、ヘビやスズメバチも見られる危険な場所だ。つなぎを着て、ゴム長靴をはき、ネット帽子をかぶって河畔に入ってゆくと、20本以上のくるみの木が大きく育って迎えてくれる。枝には10~12粒の房がぶら下がっている。手の届く範囲から、高切りばさみを伸ばさないと届かないところにもなっている。この時期で、すでに30%は落下しているいるから拾う事も出来る。
買い物籠で運び、トラックの収穫箱に積み込む。(写真中) お昼まで3時間で収穫箱2つが一杯になる。

毎回、途中休憩では公園のベンチで、妻が作って持たせてくれたホットコーヒーが楽しみだ。

持ち帰った和くるみは畑に掘った土の中に埋める。(写真下)
・・・2~3週間で緑の皮は腐って剥ける。



2013年9月26日木曜日

楽天初優勝!&こんにゃく芋の収穫

 天気:晴れ(風が強い)
東北楽天ゴールデンイーグルズ 初優勝おめでとう!
球団創立9年での初優勝だが、ファンの人も、それ以外の人も、この優勝を本当に祝福している。東日本大震災や福島原発事故の復興応援もあるが、東北のファンや選手が一体で優勝を目指している姿に、感動を受けるからではないだろうか。シーズン前の予想では優勝候補ではなかったから、余計にうれしい。

写真上は写真の撮り方が悪くて、何だから判りません~。
先週試し掘りをしたこんにゃく芋の収穫をした。茎が倒れ 枯れてしまったので残りの5個の株を掘る。そのうち2個は、大きくならないで2年玉より少し大きなサイズだったが、6個になっている。(写真上の左の玉状のもの) 写真上の右の長いも状は、全て生子(1年生)だ。
6個の玉は来年の種芋とする。生子は全て植えたら、大量の2年玉が出来るはずだ。こんにゃく屋さんになれそうだ。
 写真下の大きな3個のは、856g、960g、1400gもあった。(一番大きい芋は、調理用の計量器では量れないから体重計で量ったため100g単位) 当初の計画では600gだから、予想外の出来だろう。
芋1個で沢山のこんにゃくが出来るので、こんにゃく芋を欲しい人は連絡下さい。

2013年9月25日水曜日

葬られた戦争履歴 ②:何故軍人に・・

天気:晴れ
戦争について何も語らなかった父だが、実は、志願兵であった。”赤紙”と言われる召集令状による服役ではなく、彼は1938年(昭和13年)12月1日に20歳で、現役兵として志願して服役をしている。すでに日中戦争が勃発(1937年7月)している時期に、何故彼は職業軍人になったのか?葬られた戦争履歴を調べるのに、重要な疑問点だ。入隊前の社会環境から推測してみよう。

1917年(大正6年)12月20日、五男四女の長男として生まれ、当時は中規模農家の農業に従事している。

国際的には1918年に第1次世界大戦が終わり しばらくの好況も、1929年のウォール街の株の大暴落から世界恐慌に突入している。国内では、1923年( 大正12年)9月1日の関東大震災後の復興の時期、1927年(昭和2年)に昭和金融恐慌で銀行の倒産、東北の大凶作があって、国内経済は大不況となっている。国内政治は1932年(昭和7年)5.15事件で犬養毅首相が暗殺、以後6年半で5人の首相が交代している。そして物価高、増税で国民の不満がつのる中、1936年(昭和7年)2.26の軍事クーデターにあるように軍部の力が政治の世界に入っていく。
1933年(昭和8年)中国からの撤退勧告案が可決され、日本は国連を脱退し、世界的に孤立化する。が、中国での国共軍との戦闘はつづき、1936年(昭和11年)12月には西安事件が勃発し、まさに一発触発の状況となる。1937年(昭和12年)7月7日盧溝橋事件より支那事変(日中戦争)に突き進んでゆく。12月南京陥落、1938年3月上海掃討、5月徐州占領、10月広東占領、武漢占領、12月重慶爆撃・・・。

国際的にも国内的にも追い込まれた第1次近衛内閣は1938年(昭和13年)4月1日「国家総動員法」で、全ての人的・物的資源を政府統制するという戦時体制の強化をして、報道管制、のちには治安維持法により思想・報道弾圧を図る。
・・・そんな国内情勢の1938年に、父は軍人になる決断をしている。

2013年9月24日火曜日

痛いッ!また刺される。


天気:晴れ
定期的に巣箱の掃除をする。新しい巣を作る為に、古い巣を削ってゆく時に、巣くずが落ちる。この時期、その中に蛾がスムシの卵を産みつける。匹数の多い強い群れは、スムシを外に追い出すが、弱い群れは侵されてしまう。「びわ」「みかん1号」は、元気だが予断を許さない。「うめ」は順調に成長しているようだ。(写真上)
巣の中を観察すると,2層目まで巣が伸びてきている。(写真中)5月末の分蜂群としては非常に順調だ。

「びわ」の清掃をしていると、痛いッ!。左のひざを刺された。(写真中) ジャージを履いていたが、その上から刺された。黒のジャージであった事、今の時期は蜜源が少なく天敵が多く、ミツバチがハイテンションになっているから刺されやすい。


 ミツバチに刺された時は、1秒でも早く毒針を抜くことだ。刺された所を良く見ると、1ミリほどの針だからすぐ見つかる。出来たら2~3秒以内に抜けたら良いのだが。
我が家には「インセクト ポイズン リムーバー」という吸入器があり、毒が回るのを防ぐ。 (写真下)そして、炎症防止の「デキサンVG」軟膏を塗る。それでも、痛痒みが残るので、氷で冷やす。
完全に直るのは3日目。

目の回り、顔、首を刺されて、大きく腫れた場合は病院に行った方が良いだろう。 柔らかい所は、早く大きく腫れて、「四谷怪談」の世界になる。









2013年9月23日月曜日

こんにゃく料理 &いちじく

天気:晴れ
800gのこんにゃく芋で、玉こんにゃく5個と板こんにゃくが8枚も出来た。お知り合いや近所の方にもらっていただいたが、まだ、大量のこんにゃくがある。
いざこんにゃく料理といっても、なかなか少ない。昨日は「煮付け」、今日は「みそ田楽」にする。こんにゃくはお湯であく抜きをして、だしと少々の醤油で茹でる。たれ味噌と白ゴマをふって頂くが、ふっくらと柔らかく、こんにゃくの味もあり美味しい。

フランス人(長女の夫)は、こんにゃくのふにゃふにゃの歯ごたえが、微妙に好まれないようだ。まして、フランス料理にはない甘辛い味噌との組み合わせでは、味噌田楽は絶対に食べられないだろう。

いちじくは愛知県の特産物で、生産量は全国の28%を超える。スーパーではこの時期の果物の定番で、何処でも売っている。しかし、赤いいちじくがほとんどで、白いちじくはほとんど売られていない。赤いいちじくに比べ、皮が薄く糖度がかなり高い。ただ日持ちがしなく、6時間が限度か。糖度が高く、水分もあるため、すぐ酸っぱくなる為、自家栽培以外では食べられない。

2013年9月22日日曜日

手作りこんにゃくに挑戦

天気:晴れ
思ったより成長していたこんにゃく芋は870g。
皮をを良く洗って、一口サイズにカットする。長いものような固さでサクサクと切れるが、ざらざらとしている。(写真上)

3.3倍の量の湯(50度)を加えながらミキサーにかけて、ボウルに取ると、結構な多い量。(写真中①)



そのまま40分間放置。
あくが強く直接では手が痒くなるので、ゴム手袋をはめて煉る。水を吸いながらどんどん固まってゆく。 (写真中②)
色はまだピンク色でこんにゃくらしくはないが、ここで凝固剤(消石灰)を水に溶かして入れる。そしてさらに煉る。




 一部は丸くまとめ、残りはバットに載せて平らにする。
そのまま30分間放置。


 大きな鍋にお湯を沸かして、約30分間茹でて、あくを抜く。バットで伸ばしたこんにゃくは、カードで切って茹でる。

 そのまま湯に浸けたまま冷まして、完成。



味は?
そのまま、わさび醤油ではぷりぷり。
妻は、市販のこんにゃく同様に湯であくを取り、醤油、みりん、砂糖で煮込む。味がしっかり染み込んで、ふんわりの食感は初めて経験だ。・・・別物だ。


2013年9月21日土曜日

いも三昧

天気:晴れ
今日は「立待月」(17夜)、明日は「居待月」、明後日は「寝待月」。

いもについての報告です。
昨日収穫したこんにゃくいもの小芋を取り、根のひげを切る(写真上)。重さを測ると、870gもあった。2年玉を植えたときは120gだから、7倍にもなっている。予定は600gだから随分成長したものだ。

さつまいも、2回目の収穫~5株を掘る。 15個のさつまいもを収穫する。今年の種類は「べにあずま」で、最も作りやすいさつまいもだ。今年は100株も植えたから、焼芋屋さんだ。

里芋も2回目の収穫~ウーハン、早生いもを1株づつ。先日は煮っころがしだったが、本日は「衣かつぎ」にしよう。採りたての里芋を、採りたての生姜、自家製の醤油で。・・・キメはしっとりと滑らか、里芋の香りが鼻を被う。最高の幸せの味だ。



2013年9月20日金曜日

こんにゃくの収穫?

天気:快晴
こんにゃくが枯れた。本来は10月末の予定だったが、植え付けが3/17と早かった為か1ヵ月も早く枯れのか。パイプのように中が空洞になっている茎は倒れて、ちょっと引っ張ると抜けてしまった。試しに、1本掘ってみる。
土の中のこんにゃく芋がどうなっているのか、全く想像が付かない。ちょっと掘ると、小芋がにょろにょろと出ているようだ。折らないように、小さな園芸スコップで遺跡の土を削るように掘る。

30分以上かけて、やっと彫り上げる。タコの足のように「生子」といわれる小芋が出来ていた。1年生の小芋だ(写真中)。

ひっくり返すと、12~3cmほどになったこんにゃく芋だ出来ている(写真下) 。
もう1年育てるか、こんにゃくを作ってしまうか、まだ決めていない。が、こんにゃくの作り方だけは調べておこう。




2013年9月19日木曜日

中秋の名月

天気:快晴
旧暦8月15日の満月は、中秋の名月。
秋の澄んだ夜空に浮かぶ満月の下、すすきや団子、いもなどを飾り、酒宴を楽しむ。芋の収穫時期に合わせて、「芋名月」ともいう。
午前中、孫の翔君を連れて、今日の行事に合わせて1株づつ、里芋とさつまいもを初収穫。まだちょっと早いと思っていたが、結構成長していて、新鮮でみずみずしく美味しそう。



午後は月見の準備をする。季節の収穫物の里芋、さつまいも、柿、栗、すだち、いちじくを飾り、里芋を煮て、団子を作る。団子は上新粉に砂糖を加えて、水を加えて煉る。蒸し器で20分ほど蒸すだけ、余分に作って近所に持ってゆく。

あとは、月が登るのを待つだけ。

今日の月は美しい。ちょっとひんやりするが、空気が澄み切って縁までくっきりみえる。





2013年9月18日水曜日

ショック!みかん1号の巣落ち

天気:快晴
巣箱の掃除をする。
「びわ」はメンガタスズメ事件以降、少し元気がなく、巣覚えもほとんどしていない。古い巣が壊されて新しい巣が出来てゆく途中で、ハチの数も多くひと安心(写真上)。しかし、巣門に小さなスムシを発見、要注意!

「ウメ」はこの夏一番順調に夏を越えた。巣覚えも毎日順調にしているし、巣箱にはスムシも全くなくきれいだ(写真中)。


問題は「みかん1号」だ。巣門を開けると、巣落ちして巣蝋が溶け、底板に固まっていた(写真中ーⅡ)。掃除して、中の写真を撮ると、2層目からすっぽりと巣落ちしている(写真下)。まだ3層目の巣落ち防止棒に落ちた巣がのっている。ただその奥には沢山の蜂がいてスムシもいない。そして働き蜂の活動は盛んなのは幸いだ。しばらく様子をみるが、古い巣を壊して、新しく巣を作り直してくれるのを願うだけだ。
今年の暑さは異常で、木々の木陰のない巣箱は耐えられなかったようだ。この暑さが常態化されるのを考えると設置場所は、木陰に限る。



2013年9月17日火曜日

シルバー川柳 3

天気:快晴
台風一過! 雲ひとつない晴天

『シルバー川柳 3』を買う。
(今話題人の推薦帯は気になるが)

「来世も、一緒になろうと 犬に言い」    (妻推薦)
 

「若作り した日に席に 譲られて」

「あの世では お友だちよと 妻が言い」

「『アレどこだ?』 『アレはあそこに ソレですよ』」

「友白髪 誓った主人 禿頭」

「百歳が 十年日記 買う元気」

  以上は推薦句

2013年9月16日月曜日

台風18号の被害

天気:雨のち晴れ
台風18号は午前8時前に、愛知県東部(豊橋市)に上陸。
ところが、風雨の被害は京都、滋賀、福井とちょっと離れたエリアで、発生。見慣れた あの嵐山の渡月橋あたりで冠水状態となっている。当初の気象庁は、秋雨前線が南下して当地(東海地方)に豪雨が降ると予想していた。が、前線は南下せず京都地方に豪雨で被害を出している。
当地では、昨日からの累計の雨量も50ミリ以内で、風もたいした事もなく稲も全く倒れていなく被害なしだ。直径15cmにもなったおにゆずも、ぶらぶらしながらも落ちる事はない。
果樹園にあるミツバチの巣箱も被害なし。
いちじくも、落ちていない。
栗が1個落ちていたが、台風の影響ではない。
TVのニュースは、他エリアの被害状況が伝えられいて、何か申し訳ない気持ちです。

2013年9月15日日曜日

酷暑を耐えた日本みつばち

天気:雨
次女宅の3個(元巣2個、新巣1個)あった 日本みつばちの群のうち元巣が潰れた。春に5回も分蜂した第2群だが、7月の猛暑で巣落ちをしてしまって、女王蜂が産卵を休む時期と重なり働き蜂が逃避したりして減り、巣はスムシに壊滅状態になってしまった。昨日、巣箱の取り壊しをすると、女王蜂と数十匹の働き蜂がいたが、しばらくすると逃避した。
結局、現段階で酷暑を耐えて残っている巣箱は、次女宅2個と我が家が3個だけになった。
日本みつばちの飼育をされているブログを時々見ているが、 どこも今年の環境は厳しく、ミツバチ群を失っている。ブログの継続更新が難しい方も多い。

今のハチ達の環境には蜜源はほとんどない。だから菜園の蕎麦畑には色々な虫が集まってくる。写真上は日本みつばちだが、写真中、写真下は他のハチが飛びまわっている。その他には、アシナガハチ、クマバチ、とんぼ、チョウ、またミツバチを襲う為にスズメバチやカマキリもやってきてる。スズメバチもキイロスズメバチ、クロスズメバチ、コガタスズメバチと色々だが、今年はオオスズメバチが来ていないのは幸いだ。


2013年9月14日土曜日

台風18号対策

天気:曇り
土曜プレミアムで「海猿」を放映中。
台風13号がレガリアに接近中。

あれ! 今、台風18号に当地に接近中だった。明日の夕方には影響が出始めるかもしれない。
ミツバチの台風対策が要るが、一応巣箱はロープで固定は出来ている。台風18号は当地の右側を通過する予定だから、豪雨の予想だ。巣門から風雨が吹き込む可能性がある。

明日の朝から台風対策をしよう。
①巣箱と小屋が吹き飛ばないように、レンガの重石を増やす。
②みかん1号の日除け用のよしずを外す。
③巣門に風雨が吹き込まないように、前面カバー板を貼り付ける。


2013年9月13日金曜日

黒ゴマの天日干し

天気:晴れ
1週間前にハサミで刈り取った黒ゴマを、箕の中に逆さ~先っぽが下向きに入れて天日干しをする。ここ2~3日の熱さで、青かった黒ゴマの葉もすっかり乾燥できている(写真上)。これで1畝の全部だ。鞘の下向きになっていて乾燥すると、パチッと音を立ててはじき 黒ゴマが飛び出る。
 箕の中を覗いてみると、底にかなりの量の黒ゴマがたまっている(写真下)。

ゴマは今年で5年目の栽培となるが、毎年出来たゴマを種にして作っている。農薬も使わなくて良いし有機栽培で収穫が出来るので、家庭菜園向きの 素人でも可能だ。おまけに自家製のゴマの香りは強く、輸入品の比ではない。しかし、99.98%が輸入品で、この地でも作っている人は見あたらない。しかし、我が家にみえるお客様は、ゴマを料理に使って出すと 香りにビックリする。そして、帰りには必ずおそそ分けをする。


2013年9月12日木曜日

謎のミツバチ大量死(クローズアップ現代)

天気:晴れ
午後8時、ケータイに電話が入る。久し振りに叔父からの電話だ。
『TVで見たが、そちらのミツバチは大丈夫ですか?』という内容だ。

TVというのは、今日放送のNHK「クローズアップ現代」で、農薬によるミツバチの大量死を特集していた。世界的にミツバチが大量死をして、絶滅の危機になっている一因として、ネオニコチノイド系農薬の散布が考えられて、ヨーロッパではこの農薬が禁止されている。ただ日本では認可された農薬で禁止にはされていないが、長崎県では使用を減らす動きもある。
ネオニコチノイド系農薬は、人畜にも毒性の強いニコチノイドの毒性を低減して開発された農薬で、小型の昆虫などの殺虫薬で、シロアリの駆除等にも使われている。あまりにも大量に使われているので、小型のミツバチに敏感に影響しているされている。この農薬でミツバチの数が約25%が死滅したともいわれてる。今のところ人畜には影響がないとされているが、ミツバチが死滅している現実は何だろうか?
逆に、ミツバチが元気に活動をしている環境は、人間にとっても、農薬のない自然度の高い安心・安全な環境となる。
また小さいミツバチは死んで、天敵のスズメバチやメンガタスズメ(写真上)等はどんどん増えて生態系が壊されてゆくのはもっと恐い。
是非、ミツバチを保護して救ってください!

*写真下・・・我が家の菜園の蕎麦は無農薬・有機栽培で、ミツバチは安心・安全で自由に飛び回っている。

2013年9月11日水曜日

ミツバチを救ってください!&蕎麦への訪花

 天気:晴れ
札幌の高校野球の球場のフェンスにミツバチの蜂球が付いて、大騒ぎになり試合は中止になり、ミツバチに駆除業者に殺虫された。動画を見る限りでは西洋ミツバチのようだが、正確ではない。新聞の業者の話では5000匹の分蜂した群と書いてあったが、1万匹以上の蜂球で、またこの時期分蜂はすくない。今、養蜂する人は県、また市町村の農業振興課に登録する制度になっていて、こんな時に保護してくれる人は沢山いる。農薬の影響や、色々な天敵により、絶滅を危惧されている。ミツバチを殺すようなことはしないで下さい!


朝 7時半、菜園の蕎麦畑からブンブンとミツバチの飛ぶ音が聞こえてくる。音は春の分蜂時の大きさだから、500~1000匹も飛んでいるいるかもしれない。もう白い花粉の団子を2個も出来ているから、もっと朝早くから飛んでいるようだ。昨日もそうだが、そのミツバチを狙って、キイロスズメバチ1匹が飛んできた。我が家のたくましいスタッフは虫網を持ち出して、スズメバチをすくってとっ捕まえて踏み潰してしまった。ミツバチを救う気持ちからだが、母は強い。