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前回、入隊前の昭和初期の社会情勢を調べたが、父が軍人になる理由を推測できるものが見つからない。しかし、手がかりは 1938年(昭和13年)にありそうだ。
前年の7月に盧溝橋事件から支那事変に突入して、中国との戦争は日毎激しくなっている、その年の12月には南京大虐殺の南京陥落、翌年1938年(昭和13年)2月には重慶に空爆、3月には最近写真が公開されて話題の上海掃討作戦が、5月には「麦と兵隊」の徐州を占領し、ますます戦況拡大されてゆく。
国内では支那事変に合わせて、近衛内閣は「国家総動員法」を4月1日に公布、5月5日には施行する。これは前回にも書いたように、全ての人的・物的資源を政府が統制するというものであった。
企業は国家の要求に生産を集中し、軍需を優先し民需は最低に切り詰める。労働者の雇用、賃金、労働時間なども国家が統制する。物価も統制され 、言論出版も統制の対象として、掲載制限する事となる。・・・ この「国家総動員法」は父が軍人になるきっかけの一端になったかもしれない。
政府のプロパガンダはすざましく、2月16日に内閣府情報局から発刊された「写真週報」のタイトルが物語る。
”街に溢れる愛国行進曲” ”見よ、試練の日本 銃後の力 ” ”犬も戦士”
”一戸一品献納 折れ針も立派な武器になる”
”溢れる赤誠、旗の波”
国民はだんだんと国家の罠にはまって、戦争に巻き込まれていったようだ。
*次回は1938年(昭和13年)の父~入隊
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