2013年9月25日水曜日

葬られた戦争履歴 ②:何故軍人に・・

天気:晴れ
戦争について何も語らなかった父だが、実は、志願兵であった。”赤紙”と言われる召集令状による服役ではなく、彼は1938年(昭和13年)12月1日に20歳で、現役兵として志願して服役をしている。すでに日中戦争が勃発(1937年7月)している時期に、何故彼は職業軍人になったのか?葬られた戦争履歴を調べるのに、重要な疑問点だ。入隊前の社会環境から推測してみよう。

1917年(大正6年)12月20日、五男四女の長男として生まれ、当時は中規模農家の農業に従事している。

国際的には1918年に第1次世界大戦が終わり しばらくの好況も、1929年のウォール街の株の大暴落から世界恐慌に突入している。国内では、1923年( 大正12年)9月1日の関東大震災後の復興の時期、1927年(昭和2年)に昭和金融恐慌で銀行の倒産、東北の大凶作があって、国内経済は大不況となっている。国内政治は1932年(昭和7年)5.15事件で犬養毅首相が暗殺、以後6年半で5人の首相が交代している。そして物価高、増税で国民の不満がつのる中、1936年(昭和7年)2.26の軍事クーデターにあるように軍部の力が政治の世界に入っていく。
1933年(昭和8年)中国からの撤退勧告案が可決され、日本は国連を脱退し、世界的に孤立化する。が、中国での国共軍との戦闘はつづき、1936年(昭和11年)12月には西安事件が勃発し、まさに一発触発の状況となる。1937年(昭和12年)7月7日盧溝橋事件より支那事変(日中戦争)に突き進んでゆく。12月南京陥落、1938年3月上海掃討、5月徐州占領、10月広東占領、武漢占領、12月重慶爆撃・・・。

国際的にも国内的にも追い込まれた第1次近衛内閣は1938年(昭和13年)4月1日「国家総動員法」で、全ての人的・物的資源を政府統制するという戦時体制の強化をして、報道管制、のちには治安維持法により思想・報道弾圧を図る。
・・・そんな国内情勢の1938年に、父は軍人になる決断をしている。

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