3月場所の優勝と大関復帰 おめでとう。今、大相撲業界で、言い訳もせず一番頑張っている関取です。
長男と次女から外食でランチのメールが届いた。我が家も負けていません〜毎日 外食です。ただしアウトドアの意味。 ところが、「何を食べているの?」の問い合わせメール。食べ終わった映像で何も残っていませんが、普通の昼食です。お味噌汁に五目御飯の稲荷寿司ですよ。
このあとは、ウトウトと昼寝でした。
3月場所の優勝と大関復帰 おめでとう。今、大相撲業界で、言い訳もせず一番頑張っている関取です。
長男と次女から外食でランチのメールが届いた。我が家も負けていません〜毎日 外食です。ただしアウトドアの意味。 ところが、「何を食べているの?」の問い合わせメール。食べ終わった映像で何も残っていませんが、普通の昼食です。お味噌汁に五目御飯の稲荷寿司ですよ。
このあとは、ウトウトと昼寝でした。
四日目の翔くんの応援は庭の手入れ。昨秋からバリカンが故障だろうか良く切れないという〜シャーブレード(刃)の交換か? 機械や道具が大好きな翔くんは、ネジをはずし分解し内部をメンテナンスしたが、どうしても直らない。が、ジージと何やカンやと4時間、翔くんはユーチューブ、ジージは説明書を見ながら検討〜諦めかけて最後の挑戦で、直った。前よりもよく切れる。やった///ハイタッチ!
翔くんは、バリカンも安全管理は必要だが、なんとか使いこなせそうだ。耕運機は十分OKだ、チェーンソーはちょっと無理、草刈り機はもうちょっと無理、軽トラは足が届かない。このジージは何を考えているのやら・・・小学5年生に。
春休みの翔くんといっちゃんが、泊まり込みで応援に・・・。昨日は、菜園の草取り、燃やし、そしてニンジンの畑を作ってくれて種まきをしてくれました。そして朝から雨の今日はパン作りです。バーバのレーズンパン、ジージのプルマンは定番、いっちゃんが好きなイギリスパン〜プラスワンはかっては人気のあった「レーズンベーグル」を作った。翔くんは3歳ごろからパン作りを教えてきたが、ここにきてやっと身がはいってきている。手が大きくなったせいか、ポイントを抑えてまねを出来るようになった。それに、5時間ほどかかったがモチベーションも維持している。やはり高学年になるとちがうな〜。
化学治療センターで私と同じ治療を受けている方にあった。この地域にはこの治療の出来る病院が少なく、多くの患者が来ているようだ。次回は副作用などの共通する話も聞いてみたい。
*君子蘭のつぼみが出てきた。咲くのは4月中旬か。
今場所も鶴竜・白鵬の両横綱が休場〜国技である大相撲の存在意義が軽視され怒りすら感じる。国会中継、高校野球やコロナ禍で放送時間が短縮されても、我慢して、夫婦ふたりで大相撲を楽しんでいる。中でも、今場所に大関復帰をかけている照ノ富士を、私は応援をしている。まだ体が万全ではないが、とにかく勝ちたい、勝ちたい、10勝したいと、強引な勝ち手と言われても必死に取り組んでいる。その必死さを、是非 鶴竜も学んでほしい。今日は志摩の海に負けてしまったが、あと5日で3勝だ・・・頑張れ!照ノ富士関。
先週金曜日から3日間やってきた(金曜日は卒業式で自宅で自習の予定だったが)。ジージやバーバが庭の剪定や畑が出来ないので、自分がやらなければと責任感を感じているようだ。金曜日の初日は、庭の枝の焼却、二日目は畑に耕うん機をかけて畝を作ってジャガイモを植え付けた。さらにいちごの苗をプランターに植えてビニールでおおった。一日中雨だった三日目はフルーツ寒天を作り、お昼にはたこ焼きを焼いてくれた。もうしっかりとジージ・バーバの生活になじんでいる。が、ジージ/バーバが今後もずっといっしょとはいけない。やはりパパやママとの関係が大事だ。日頃は翔くんはパパ/ママに可愛がられていて、翔くんはパパをリスペクト(尊敬)しているので大丈夫だが。
うちの奥様 たまごにハマっています。何故かたまごを買うのが大好きなのです。先日の最高級レベルのたまご屋さん「歩荷」に続き、今日は翔くんと3人で養鶏所巡り。たまご屋さんにとって意味があるかどうかは分からないが、4代目 創業90年以上の老舗だ(鶏は90代目以上)。平日は自販機だけだが、日曜日は店舗でたまごを使ったプリンやシフォンケーキも販売する。たまごはもちろんネットでも購入は可能だ。価格は20個パックで720円です。
生産地のたまごは、何と言っても産みたてで鮮度が良く、TKGでその美味しさが出る。ただ、私は生卵をたべるのがドクターストップだ。
てんき:曇り
昨日抗がん剤治療第4クール後半をうけました。朝7時に自宅を出て、帰宅は午後4時頃になります。検査結果はあまり変動がなく、腎臓も39.0%で生活には支障がありません。脚の痛みはありませんが、しゃっくりがとまりません。薬飲みます。主治医に、髪が黒くなったと聞くもそう云う治験はありませんと・・・気のせいだろうか。(脱毛の治験はあるが) 再三、刺身/寿司を食べれないかと訊くと、『隣に医師がいれば駄目だといわざるを得ないが、多発性骨隨腫は現在では完治がなく、今後 一生刺身/寿司を食べるなとは言いづらい。主治医と許可しますので、節度を持って食べて下さい』 バンザイ!
*水仙の季節です
午後2時46分 黙祷・・・お寺の鐘もなる。
早くも10年が経過した。あの日、あの時、あなたは何をしていましたか。私は、知人友人と手火鉢でせんべいを焼いていました。TVで津波をみて、慌てて友人は帰った。考えられない大変な事になったと、頭の中が混乱したまま数日間過ごした。(写真は震災後3日間の新聞〜TV欄は真っ白)
教訓としては、この世に「絶対」はないということです。地震にしても原発にしても、誰が言ったか判らないが、それを信じた為に被害が大きくなった。信用はしたいが「絶対」はありえない。
天気:曇り
ああ〜カン違い! 昨夜りんごの天然酵母の生地を作り、いつものように、常温の部屋で一晩(12時間)一次発酵をした。ところが、朝には、全く発酵していなかった。イースト菌の場合は、菌の量を半分にしてもちょうど良い。天然酵母の場合、一次発酵は25度前後で一晩(最低8時間)必要なのです。天然酵母に『甘く見るな』と言われたようだ。残念! だからこれから8時間の発酵をするしかない。結局は生地を形成出来たのは午後4時、焼き始めたのは午後6時になってしまった。そんなことの分からない翔くんは、午前10時から応援に来てくれました。昼間は待つだけで、庭に木を切ってもらうはめに。
しかし、焼き上がってみると美味しい。別物感がするが、あくまで個人感想・・・翔くんに焼きたて届け、明日は長男に送って味わってもらう。
昼間 T生命保険のおばさんが二人でやってきた。がん保険・・無理むり、既往症があっても80歳でも入れる保険・・無理むり、認知症保険・・すでに無理むり、コロナ保険(あれ!ふたりともマスクなしで保険外交とは) *コロナ禍の中での保険外交も大変ですね。
天然酵母の液種を仕込んで丸4日〜そろそろ完成だ。酵母菌は見た目では分からないが、小麦粉とあわせて熟成すると、生地の元の「元種」が出来る。イースト菌の代わりに この元種でパン生地を作って焼く。自然のパンです〜美味しいよ。
クールの2週間目はベルケイド(抗がん剤注射)、ランマーク(カルシュウム注射)の半日治療だ。もちろん診察前の血液検査の採血はあるから、午前7時前には 家を出る。主治医との診察には1週間の「日常生活表」〜食事、体温、血圧、体重、尿・便回数、体調の概要〜を報告する。治療効果や副作用を分析して、薬を決めたり他科の診断を依頼したりする。(今日は、糖尿病・内分泌科)
血液検査結果はあまり変化はないが、CREAが1.34、eGFR41.3と一番良い数値が出た。6段階で下から3番目だが、44以上だとランクアップする。帰ってから1時間ほど寝て体調は悪くはない〜慣れだろうかな。
そうそう、看護師にコロナワクチンを打ったか尋ねた・・・「来週です」。
歴史研究家の半藤一利が1月12日に亡くなった(90歳)。彼が常々言っていたのは現代史を学ぶ事の重要性だ。戦国時代以前の歴史は確かな史実も残っていなくて、何が真実なのかわからないことが多い。一方、幕末、明治以降については真実性が高く興味深い。しかし、中学、高校の歴史の授業で大正、昭和の歴史は大概3学期で、最後には時間がなく「読んで置くように!」で終わってしまっている。戦後史にしても体験して覚えているのは、せいぜい昭和40年以降だろう。徳川江戸時代が終わり、国際的にも初めて国としての出来た幕末・明治、折角作った国をぶっ壊した昭和、一体何がそうさせてしまったのだろう?
天気:晴れ時々くもり

彼は「がんで死にたい」と常々言っている。余命宣告され「生」「死」「病」「老」(四苦)を考える時間を与えてくれるからだ。実際の死因(20年12月)は心筋梗塞だった。最初の宣告から8年半〜充分に考えられ、準備も出来た。(ただコロナ禍で葬儀は思うようには出来なかっただろう)
彼の8年半の闘病を見ると、がんに対する研究の進歩を感じる。最初の陽子線治療は当時では最先端で手術や抗がん剤治療を免れたが、15年3月のリンパ節の手術は、現在では大きく変わっている。当時では大手術で「神の手」の医師が、首、腹、背中を切開していたが、この頃から「縦隔鏡手術」「ロボット手術」が始まり、18年から保険適用もされている。腹と首に小さな切開と腔をあけ、ロボットアームでモニターを見ながらする手術で、肺や心臓の負担がなく肋骨を切ったりすることもない。彼の場合は持病の心臓疾患があったから、科学の進歩がもう少しだけ間に合っていれば・・・と思う。
私の「多発性骨髄腫」も不治の病といわれているが、研究が進められている。ノーベル賞学者本庶佑氏の「オプジーボ」も同分野のリンパ球T細胞の研究だという(骨髄腫はB細胞)。自分ではどうしようもないが、治療を続けながら研究に期待する。
寒い寒いと言いながら、春はやってくる。ふきのとうが芽をふき、梅が咲く。うちの人は何故かこのふきのとうが好きだ。数個を収穫して玄関の花瓶に活けると春の香りがただようからだ。
先日は3クール後半の抗がん剤(ベルケイド)だった。毎週する血液検査にHbA1c(糖尿病数値)追加したら、案の定、6.5と1割ほど悪くなっていた。これは抗ガン剤治療時にステロイド薬を投薬を36錠、点滴を2回(1クール=6W)実施するからだ。他の病症でもステロイドを薬を使用する時には、必ずチェックを入れて、血糖値をコントロールする薬を飲む〜おかげで、2種類の薬が増えた。〜もう体には薬がいっぱいだ。
家族の心境は何度も読んでも判らない〜礼さんの著書だから当然だ。一回目は柏市の病院で通院の治療だったが、がんの宣告時には少なからずのショックはあったはず〜当時は2人の子供もそれぞれが結婚をして力にはなってくれたはずだ。しかし、2回目の治療時(15年3月)は、大手術と抗がん剤治療で苦しむ夫(生と死をさまよう10ヶ月)は、家族全員がさまよっていた。どうしてよいのか分からず、お寺さんに葬式の相談をしたり、ぼーとしていて車にひかれそうになったり、うつ状態で「精神腫瘍科」で薬をもらったり、兎に角、手も足も地につかない。病院から帰っても女性一人で暮らす虚しさ、寂しさは計り知れない。友達が心配して電話をくれても、ほっといて!と言いたい気持ちも理解できる。そんな時期(15年11月)に長男の奥さん(女優)が心不全で急逝・・・。相当な葛藤があるのに、著書の中ではあまり触れられていないのは、夫には見せられないという 妻:ゆりさんの意地と覚悟を感じる。が、がんの治療は長い時間が必要で、その間の痛みや苦しみを理解してくれる家族がいるということが、どれだけ励みになることやら。私の場合も、コロラ禍で入院中に面会ができなく孤立生活の妻を救ったのは、3人の子供たちがラインで情報を共有し、毎日励ましてくれたお陰だ。
天気:曇り
3本の食パンを焼く〜1本は、先日手伝ってくれた澪くん用だ。当時(16年以前)の食道がんの手術は「大手術中の大手術」と言うほど難手術だった。食道は胸の奥にあり、胸の横を切開して肋骨を切り、胃の一部を切除するため腹部を切開、胃と食道をつなぐために首も切開する〜同時に3ヶ所も切開する。そもそも食道の周辺には数多くのリンパ節があり転移する可能性は大として広い範囲でリンパ節を同時に切除する。しかし、心臓に持病を持つ彼は、手術に耐えられないと12年には陽子線治療を選んだ。が、結果として食道の近くのリンパ節に転移した。私は、医師と患者はいつも対等な立場での信頼関係と常々思っているが、この時の彼の心境は陽子線治療での信頼関係もあり難手術や辛い抗ガン剤治療を受けざるを得なかった。すべてを神に任せる心境だっただろう。そして耐えた。
さて、本人の葛藤のなか家族(妻:石田ゆり、1男1女、先妻のむすめ)の心境はいかばかりであっただろうか? (次回)
陽子線治療でがんは治った、いや、治したと思っていた。しかし2年半後の定期検診でリンパ線に転移(再発)した。陽子線治療が出来ないといわれても、前回以上に治りたいという気持ちが強くなり、医師に任せざるを得ない。手術をしたが取りきれず、穿破(内蔵破裂)の脅威を抱えながら、壮絶な抗がん剤治療〜生と死をさまよった10ヶ月〜を受けた。今回が初めての本当のがん闘病であり、前回のように「がんで死にたい」とか「葬式の準備」「やり残したこと」などの余裕はなく、目の前の辛い治療や副作用から逃げるのがせいいっぱいだったと思う。今のわたしの状況のように・・・。彼の状況は特に厳しく、抗がん剤の点滴時間も24時間とながく、倦怠感、脱力感、免疫力の低下、転倒骨折、吐き気、脱毛もあった。本には記されていないが、この10ヶ月の 間の家族(奥様:石田ゆり、1男1女の子)の心境は計りしきれない。
彼ががんを罹患しての境地の変化〜がんで死にたいと言う。最初の余命宣告(八ヶ月)を受けた時に、心臓病や脳卒中 交通事故と違って、がんは死ぬまでに時間がある。限られた時間だがやり残したことや気持ちの整理ができるからだ。病の広がってゆく恐怖心は有るが、悩んだり考えたりする時間はある。葬式の準備(墓、戒名、死に衣装、ラストソング等)、相続などをしながら、生永れる方法を考えた。結果の陽子線治療を偶然に見つけたというが、違うだろう。切る手術、抗がん剤治療、放射線治療以外に、なにか他人と違う方法が有るだろう(高額といわれても)との条件で陽子線治療を選んだ。それは自費で一回300万以上かかるが、治療の苦痛もないからだ。そして6ヶ月で寛解して普通の生活に戻った〜何もなかったかのように。その時の気持ちを、「ハレルヤ」「ViVA LA ViDA(人生万歳)」と記している。
知り合いの方から、贈っていただいた。作詞家・直木賞作家のなかにし礼が、2度のがん闘病で到達した境地が参考になればと。
この本が書かれたのは「18年の秋 軽井沢別荘にて」で、2回目のがん治療の寛解して3年後である。そして、その2年後の昨年12月23日に心筋梗塞で亡くなった〜82歳だ。
そもそも最初の食道がんが見つかったのは12年3月で(74歳)、半年ほどかけて当時では珍しい陽子線治療という最先端・高額治療をうけて寛解している。再発したのは2年半のちの15年3月で、食道の近くのリンパ節 だ。今回は陽子線は使えなく、また切除手術でも取れなくて、抗がん剤化学療法を5回受け、さらに陽子線治療をうけて 15年12月には完全寛解となった。(この本に記述ないが、翌年16年4月にペースメーカー・除細動器を埋め込む心臓手術をしている)
妻がスマホを使ってクックパッドやクラシルを見ながら料理をしている。次女から説明を受けて必要な気に入ったアプリで使っているようだ。
本来は私のコロナ禍の入院中に、孤独な生活をしなければならない妻を、子どもたちがラインを使って励ます目的だった。もちろん、面会禁止の私をはげまされたが。1ヶ月の間、子どもたちは毎日 毎日メールを送り続けてくれて、二人にはどれほど励まされたか計り知れない〜感謝しかない。退院してからも、治療やコロナで閉塞感 憂鬱 暗くなりがちの生活を送っている私たちを、励ましていてくれている。そのお陰だろうか、妻の食欲不振は解消され、僅かだが1kg体重が増えた。
次女がいっちゃんの保育園おくりのついでに、美味しいカレーを持って来てくれた。次女が先週作った美味しそうだった「牛すじカレー」で、頼んでいた。美味しい・・・。
ちょうど食パン作りの最中で、当然、澪くんがちょっかいを出す。まあ、2歳になったから良いかと、手洗い、背伸び台を準備して、形成作業をやらせてみた。翔くんもいっちゃんも歩んできた道だ。澪くんのすごいのは、ジージのしているのを良くみて真似することだ。そこには、お兄ちゃん、お姉ちゃんの影響が大きい〜見習うことを心得ている。
残念なのはこの食パンはジージとバーバの主食だから、差し上げられないことだ。今は製造能力が2斤だけだが、もう1斤分を増やさなくてはならないな〜。
昨日の夕方、次女が三匹のコブタを連れて来てくれた。緊急事態宣言後、次女が感染に気を使って一度も来ていなかった。連絡は毎日のラインで交換でして、閉塞感やストレスを解消してくれている。三匹のコブタの映像は楽しみだ〜翔くんの縄跳び競技会、いっちゃんの体操教室、わがまま澪くんの映像で癒やされる。
今日の生の三匹のコブタは2時間ほどの滞在だったが、三人三様でジージやバーバを遊んでくれた。幸い、誰もコロナやインフルにかかっていなく、過ごしておれることはありがたいことだ。
*澪くんは自宅に帰ってからお風呂にはいって、爆睡だ。
主治医に訊く。
①現在の骨髄腫の進行状況は?〜完全奏功(CR)だという。抗がん剤での治療でガン細胞を抑え込んでいる状況だという。尿検査で蛋白もIGAが1/20に減少し、κ 型も1/1000と標準内に6週間以上を維持している。ベルケイドが効いている。ただ、血液ガンの骨髄腫は完治はなく再発の可能性が高く、当面は現治療を継続する。
②腎臓の機能回復はあるのか?〜今日の血液検査でCREAは1.38で,eGFRが40.0で、ここ6週間はeGFRが30台で推移。抗がん剤治療で機能回復もここまでで、これ以上は良くならないという。今の微増減値は水分の摂取状況の範囲内だという。
抗がん剤治療はまだ継続されるが、回復方向にあるのは良いことだ。