2013年10月10日木曜日

秋 まッ只中なのに・・・

天気:晴れ時々曇り
暦上は秋なのに・・・。
30℃以上の「真夏日」が続く。気温では平年の9月上旬から中旬並み。
この気温で元気なのが、蚊だ。蚊は、25℃以上が最も活動的で産卵をくりかえす。夕方に外に出ると、一斉に襲われて、衣服の上からでも刺してくる。

それでも周りの風景は、秋
稲穂は黄金色に輝き、頭を下げている。ほとんどはコンバインで、米の収穫がされるが、この近くでは、4軒の農家で稲刈りがされて、天日干しをされる。例年通り、来週には稲刈りがあるだろう。


コスモスは例年より早く咲いている。それに、元気に沢山咲いている。なばなの里では150万本らしいが、どのように数えるのだろう。


2013年10月9日水曜日

葬られた戦争履歴⑤:新兵訓練

天気:雨時々曇り
国家総動員法の施行後(1938年5月)、はやる気持ちを抑えられず 父はその年の12月1日付で入隊をした。すぐに新兵訓練が行われるのだが、最初の5ヶ月間の内容は「軍隊手帳」には記載されていない為に不明だ。
一般的には(徴兵、志願兵とも)新兵訓練は、基礎訓練から実役まで約2年間のようだ。その間に適正に応じた兵種を選び、下士官候補 又は、まれに士官学校への進級も可能であった様だ。その期間に階級も上がり、半年で2等兵から1等兵に、1年で上等兵に、2年ごの訓練終了時点で兵長になるのが普通だ。
父は第3師団野砲兵第3連隊(名古屋)に入隊。
連隊名は編隊地を表して、第1師団は東京、第2師団は仙台、第4師団は大阪、第5師団は広島、第6師団は熊本で、いずれも編隊時期が明治17年と歴史のある師団だ。まずは、5ヶ月の座講を含む訓練。軍隊手帳に記載の勅諭や軍法の教育であったのだろう。
最初の実役の辞令は 1939年(昭和14年)5月1日
 第3師団野砲兵第3連隊補充隊第二中隊 砲兵二等兵
そこで約4ヶ月は実戦訓練をしていたと思われる。(転戦実績がない)
 
同年9月19日・・・野砲兵(山野砲兵)第38連隊
同年9月23日・・・同上 第二中隊
野砲兵第38連隊(名古屋)は中国戦線の為に6月30日に編成されていた。

父は10月1日付けで砲兵一等兵 に昇進し、中国南支戦線に行く。(10月13日出帆)
出国前には、どんな気持ちで 帰郷していただろう。



2013年10月8日火曜日

憎きオオスズメバチ

天気:曇り時々小雨
午後、果樹園を巡回すると、「みかん1号」に、オオススメバチが数匹巣門を襲いかかっている。(写真上)
 *勇気のある人はWクリックして下さい。
カチカチとくちばしを鳴らして、巣門の前でミツバチだ出てくるのを待って、その堅い歯で食い散らす恐ろしいやつだ。
ススメバチの中でも最も大きく、人を襲い、どう猛で悪名高い。
すぐ家に帰えって、つなぎに着替えネット帽を被り、タモと殺虫剤を抱えて、いざ決戦!
殺虫剤は巣箱には噴霧出来ないから、1匹づつタモで捕まえ押さえ込んで 足で押さえて殺虫剤をかけるしかない。オオスズメバチと1対1ににらみ合った時は、目をそらしたら負けだ。1回目は3匹を捕らえたが、2~3匹は逃げられた。
昼食を食べて見に行くと、また数匹来ていた。今回は1匹だけ捕獲。30分後に再三度行くと、また4匹来ていた。(写真2番目)今度は、かなり大きくこちらに向かって来た。タモを振り回して3匹をゲット!~その間、ミツバチ達は外には出れなくてじっとしている。

 しばらくは果樹園で見張る事にした。来た!1匹だけだ。1匹だけと判ると、ミツバチがドッと出動してススメバチを追いやってしまった。(写真3番目)
日が暮れ うす暗くなり、それ以降、オオスズメバチは現れていない。 が、明日はまた来るだろう。

*下の写真は、決戦の結果だ。

私にはミツバチを守る責任があるから戦うが、皆さんはマネをしないで下さい。命の保証が出来ません



2013年10月7日月曜日

生芋手作りこんにゃく

天気:小雨
9/26に収穫した時には、856gあったこんにゃく芋が10日間で684gに乾燥された。芋の重量の3.3倍の水分を加えるが、生芋の乾燥度によって変えるべきだと思うが、まだ良く判らない。
が、前回同様、3.3倍の量の50度の湯を加えながらミキサーにかける。(写真①) 当然、前回より粘りがあり固い。


40分間放置して、両手で強くかき混ぜて煉る。前回は5分ほどだったが、今回は10分間かなりしっかり煉る。糸を引くような組織になり、つやも出る。ここでしっかり煉るのは弾力を出すポイントのようだ。(写真②)





凝固剤は「生石灰」を6gを135mlの茹で溶かして入れる。(写真③)  入れると、かたまった組織がブツブツに分離するが、大きく強くかき混ぜて煉って固める。1分ほどで手早くねって、型(バット)にのせて、手で平らにする。
(写真④)






20分ほど置いて、カードで切る。今日、スーパーで見た生芋こんにゃくは 結構厚かったので、5cmと思い切って厚くした。
沸騰したお湯の中で、約30分間茹でる。そして、鍋にいれたまま冷ます。(写真⑤)


さっそく、薄切りにして、刺身こんにゃくで食する。(写真⑥)
前回に比べると、石灰臭も少なく歯ごたえは良くなっていて、かなり美味しい。市販品に比べると別品で、手作りがいのあるこんにゃくとなった。








2013年10月6日日曜日

帰ってきた「びわ」

天気:晴れ
日本みつばちの「びわ」は、そんなに遠くには飛んでいなかった。
「びわ」は8月中は安定していたが、それ以降はスムシに襲われていたようだ、9/24以降の10日ほどの間に、巣箱をあきらめて全匹が逃避してしまった。10/3には1匹もいない。(写真上)
何処へ行ってしまったのか?

午後4時、近所のおじいさんが~8月中旬にハチの群れに灯油をかけて、妻に叱れたあのおじいさん(8/16のブログ)~やってきた。庭の柿の木に蜂球がついているというのだ。今度も叱られるといけないと連絡をしにきた。「びわ」の巣箱のあった所からは、直線であったら70mほどしか離れていない柿の枝に、蜂球が付いていた。が、蜂球は小さく300~400匹だ。9月末に逃避してから10日、あちらこちらに住処を求めて飛び回って、はぐれたハチもいて 群れは小さくなっていた。女王蜂がいるかどうかも判らない。
兎に角も、巣箱を柿の枝の上に置いて追い込むという、最も安全な方法でミツバチを取り込んだ。
今は、よっぽど疲れていたのか、巣箱の中でじっとしている。(写真下)



しかし、群れも小さく、女王蜂も不在かもしれなくて、時期も悪く、11月中旬までには、巣を作り上げなくてはならない。可能性は非常に低い。

2013年10月5日土曜日

ナポリタン & カステラ

天気:曇り
我が家ではナポリタンは私の担当。ナポリタンは元々まかないであったが、この地の喫茶店の定番でもある。だから、目標は喫茶店の味。
ポイントは決してアルデンテではない、もちもちの麺だ。ヨコイの2.2ミリの太いスパゲッティを、前日に茹でて水洗いをして、冷蔵庫でひと晩置く。~パスタの世界では考えられないが、良いんです。ナポリタンはイタリアンではなく、和食ですから。
具は次女の夫が作ってくれたベーコンと我が家の野菜。そうそう、その野菜をマーガリンで炒めるのもポイントかな。
美味しいですよ!和風パスタも。

手持ちぶたさの妻は、カステラを作った。カステラは妻の十八番で、今回は丸い鍋を使ったので、24cmのシフォンケーキのような丸い形だ。次は長方形にしよう。

2013年10月4日金曜日

「びわ」壊滅

天気:曇り時々晴れ
「びわ」が壊滅した。昨年は越冬出来たただ1つの巣で、春には沢山の子孫を出した元巣であったが・・・。

8月の立秋のあとには、産卵もされて幼虫も生まれ、巣覚えの舞も行われていた。9月にはいって巣覚えもなくなりちょっとおかしいなと思っていた。
写真最上は9/16の清掃時の内部だが、巣の中に蜂球もあり健全状態であった。






次の写真は9/24の内観だが、ミツバチの数は多いが動きが異常状態(巣から離れている)になっている。今から思えば、この段階で巣はスムシに犯されて、危険状態になっていた。





3番目の写真は昨日(10/3)の写真だ。ミツバチはほとんど見あたらない。僅か1週間強の間に、全てのハチが逃避してしまった。






4番目の写真は今日の写真だ。昨日の内観でミツバチが居なくなり、やむ得ず巣箱の解体をした。中は数多くの大きなスムシが、我が物顔に巣を占領していた。巣は縦に長く3段の重箱にびっしりと出来ていたが、ミツバチは1ぴきも居ない。

原因や対策を、まだまだ勉強をしなければならない 。


2013年10月3日木曜日

天然温泉:羽島温泉

天気:晴れ
我が家から車で5分のところに、「祖父江温泉」がある。そこからもう5分のところに「羽島温泉」がある。どちらも、地元の市が運営をしている日帰り温泉だ。だから、料金は安く、大人200円。

羽島温泉の源泉を使って、すぐ隣に「かんぽの宿 岐阜羽島」がある。体育館やテニスコート、グランドゴルフ場などのレクレーション施設もあるホテルだ。自然のまっ只中にあるが、交通の便は決して良いとは言えない立地だ。親方日の丸の郵政簡易保険時代の施設で、かっては保健契約者だけが利用できた。民営化されてからは、誰もが宿泊が出来るようになり、日帰りの温泉も利用できるようになった。が、いつ行っても空いている。同じ源泉で すぐ隣に安い温泉があるからだ。
午後、妻と出かける。料金は500円だが温泉でゆったりする為には、「かんぽの宿」がぴったりだ。
ホテルのチェックイン前の2時に入る。案の定お客は少なく5人ほどあったが、しばらくするとただ1人で大浴場を独占していた。
 羽島温泉・・カルシウム・ナトリウム 塩化物温泉
 源泉の温度・・37度
 加温、かけ流し湯の天然温泉

2013年10月2日水曜日

お赤飯

天気:晴れ
台風の影響で風が強い。しかし、昨日と今日は真夏日(30℃)で、平年の9月上旬の気温だ。

今日は、孫の翔君の「七五三」のお参りを、真澄田神社ですることになった。朝から、妻がお祝いの「お赤飯」を作る。

豆は、自家栽培の「ささげ」で作る。まずは、昨夜から浸水したささげを、灰汁取りのために茹でて、湯は捨てる。再度、水を替えて、20分ほどで、指で押すと潰れるほどやわかかく 茹でる。今回の茹で水は炊飯時に使う。
米は、もち米を80%、うるち米を20%で割合で、炊飯する。

赤飯は、普通 小豆を使うが、本来はささげを使うものらしい。皇室では昔からささげで赤飯を作る。~香りが良く、味はさっぱりしている。

出かけようとしていたら、翔君が熱を出して本日の「七五三」は延期でした。
・・・お赤飯だけは、皆さんに配ってお祝いをする。

2013年10月1日火曜日

おはぎ

天気:晴れ
おはぎを作る。
つぶ餡は、昨日作っておいた。普通のあんこより柔らかく、粒は適度に潰した。

おはぎは大きさを整えるのが難しい。餡が少ないと物足りない。
あんこは約100gに分けて丸めておくと良い。ご飯(餅米)はあんこの半分ぐらいの量で丸めて、あんこで包む。

いくら美味しくても、いくらおはぎが好きでも3個が限度だね。

おはぎ(お萩)は秋の呼び名。
 春は・・・ぼたもち(牡丹餅)
 夏は・・・夜船
 冬は・・・北窓

2013年9月30日月曜日

葬られた戦争履歴④:何故軍人に?1938年(昭和13年)に何があったのか

天気:晴れ
1937年(昭和12年)の盧溝橋事件から始まった支那事変の戦況はますます激しさが増していた。国内も熱く戦時体制を強化していった。

一方で、1938年(昭和13年)の父はどうだったのか?
戸籍謄本を調べると、父は五男四女の長男であった。生まれたのは1917年(大正6年)12月だ。しかし、不幸にも長女の姉は1925年(大正14年)に9歳で死亡、次男の弟が1935年(昭和10年)に17歳で亡くなっている。
そして、問題は1937年(昭和12年)からだ。四男の弟が8歳で7月に死亡し、祖母が10月に、そして、祖父が3ヶ月後の1938年(昭和13年)1月に亡くなっている。半年に3人の家族を失っていて、父にとっては相当な悲しい出来事であったに違いない。

当時の徴兵制度があり、満20歳になると4~5月に徴兵検査を受け、合格すると翌年1月には入隊する。兵役期間は陸軍2年、海軍3年だ。ただし、戸主と長男は兵役から免除される。
満20歳になっていた父も、1938年(昭和13年)4~5月に徴兵検査で甲種合格になった。が、父は、長男で家業の農業に従事しており兵役免除の対象者で、むしろ同年で17歳となっている三男が20歳になれば兵役義務があった。父が兵役に服すれば、三男は次の免除対象者となる。

1938年(昭和13年)12月1日付けで志願兵として入隊した。種々の要因が考えられるが、軍人を志願した本当の理由は判らない。しかし、社会が支那事変、国家総動員法の施行など激しい勢いで変わってゆく中、不安や危機、そしてナショナリズムの高揚も感じていたかもしれない。


2013年9月29日日曜日

栗はどのようにして食べますか?

天気;晴れ
果樹園に1本の栗の木が植わっている。昨年から数個の栗が生るが、実る前に落ちてしまう。
ようやく判ったのは、栗は1本では実らないということ。異種受粉が必要だったのです。いくらミツバチ達が頑張っても。

ところで、栗はどうして食べますか?スーパーで1kg、500gで売っている生栗のことです。
まずは、焼き栗~オーブントースターで焼くのだが時間がかかる。が、一番美味しい食べ方。茹でるのも良いが、皮を剥くのが大変だ。
先日は、1kgの生栗を使って美味しい「栗ご飯 」を作った。(写真中)
今回は、「栗の渋皮煮」を作る。1kgのおに皮を剥いて、重曹を入れたお湯で2回も茹でこぼしをして、筋皮を取り除く。次に、灰汁取りのために、3回の茹でこぼし。最後に砂糖シロップを少しづつ加えて弱火で3時間煮詰める。
・・・皮まで柔らかく、しっとりとして本当に美味しい。和菓子として食べるのもよいが、カンパーニュに丸ごと入れる予定だ。


2013年9月28日土曜日

葬られた戦争履歴③:何故軍人に・・1938年

天気:晴れ
前回、入隊前の昭和初期の社会情勢を調べたが、父が軍人になる理由を推測できるものが見つからない。しかし、手がかりは 1938年(昭和13年)にありそうだ。

前年の7月に盧溝橋事件から支那事変に突入して、中国との戦争は日毎激しくなっている、その年の12月には南京大虐殺の南京陥落、翌年1938年(昭和13年)2月には重慶に空爆、3月には最近写真が公開されて話題の上海掃討作戦が、5月には「麦と兵隊」の徐州を占領し、ますます戦況拡大されてゆく。
国内では支那事変に合わせて、近衛内閣は「国家総動員法」を4月1日に公布、5月5日には施行する。これは前回にも書いたように、全ての人的・物的資源を政府が統制するというものであった。
企業は国家の要求に生産を集中し、軍需を優先し民需は最低に切り詰める。労働者の雇用、賃金、労働時間なども国家が統制する。物価も統制され 、言論出版も統制の対象として、掲載制限する事となる。・・・ この「国家総動員法」は父が軍人になるきっかけの一端になったかもしれない。

 政府のプロパガンダはすざましく、2月16日に内閣府情報局から発刊された「写真週報」のタイトルが物語る。
 ”街に溢れる愛国行進曲” ”見よ、試練の日本 銃後の力 ” ”犬も戦士”
 ”一戸一品献納 折れ針も立派な武器になる”
 ”溢れる赤誠、旗の波”
 
国民はだんだんと国家の罠にはまって、戦争に巻き込まれていったようだ。
*次回は1938年(昭和13年)の父~入隊

2013年9月27日金曜日

和くるみの収穫

 天気:晴れ
今年の和くるみは粒が大きい。(写真上) 直径が5cm弱もある。もちろん皮を剥いたらその分小さくなるが、暑さが良かったのか出来が良い。

毎年、9月末のこの時期に 友人と和くるみの収穫と、うめもどきの採集に出かける。 場所は木曽川の河畔~午前9時に現地待ち合わせする。
河畔は胸の高さまである雑草に覆われているし、ヘビやスズメバチも見られる危険な場所だ。つなぎを着て、ゴム長靴をはき、ネット帽子をかぶって河畔に入ってゆくと、20本以上のくるみの木が大きく育って迎えてくれる。枝には10~12粒の房がぶら下がっている。手の届く範囲から、高切りばさみを伸ばさないと届かないところにもなっている。この時期で、すでに30%は落下しているいるから拾う事も出来る。
買い物籠で運び、トラックの収穫箱に積み込む。(写真中) お昼まで3時間で収穫箱2つが一杯になる。

毎回、途中休憩では公園のベンチで、妻が作って持たせてくれたホットコーヒーが楽しみだ。

持ち帰った和くるみは畑に掘った土の中に埋める。(写真下)
・・・2~3週間で緑の皮は腐って剥ける。



2013年9月26日木曜日

楽天初優勝!&こんにゃく芋の収穫

 天気:晴れ(風が強い)
東北楽天ゴールデンイーグルズ 初優勝おめでとう!
球団創立9年での初優勝だが、ファンの人も、それ以外の人も、この優勝を本当に祝福している。東日本大震災や福島原発事故の復興応援もあるが、東北のファンや選手が一体で優勝を目指している姿に、感動を受けるからではないだろうか。シーズン前の予想では優勝候補ではなかったから、余計にうれしい。

写真上は写真の撮り方が悪くて、何だから判りません~。
先週試し掘りをしたこんにゃく芋の収穫をした。茎が倒れ 枯れてしまったので残りの5個の株を掘る。そのうち2個は、大きくならないで2年玉より少し大きなサイズだったが、6個になっている。(写真上の左の玉状のもの) 写真上の右の長いも状は、全て生子(1年生)だ。
6個の玉は来年の種芋とする。生子は全て植えたら、大量の2年玉が出来るはずだ。こんにゃく屋さんになれそうだ。
 写真下の大きな3個のは、856g、960g、1400gもあった。(一番大きい芋は、調理用の計量器では量れないから体重計で量ったため100g単位) 当初の計画では600gだから、予想外の出来だろう。
芋1個で沢山のこんにゃくが出来るので、こんにゃく芋を欲しい人は連絡下さい。

2013年9月25日水曜日

葬られた戦争履歴 ②:何故軍人に・・

天気:晴れ
戦争について何も語らなかった父だが、実は、志願兵であった。”赤紙”と言われる召集令状による服役ではなく、彼は1938年(昭和13年)12月1日に20歳で、現役兵として志願して服役をしている。すでに日中戦争が勃発(1937年7月)している時期に、何故彼は職業軍人になったのか?葬られた戦争履歴を調べるのに、重要な疑問点だ。入隊前の社会環境から推測してみよう。

1917年(大正6年)12月20日、五男四女の長男として生まれ、当時は中規模農家の農業に従事している。

国際的には1918年に第1次世界大戦が終わり しばらくの好況も、1929年のウォール街の株の大暴落から世界恐慌に突入している。国内では、1923年( 大正12年)9月1日の関東大震災後の復興の時期、1927年(昭和2年)に昭和金融恐慌で銀行の倒産、東北の大凶作があって、国内経済は大不況となっている。国内政治は1932年(昭和7年)5.15事件で犬養毅首相が暗殺、以後6年半で5人の首相が交代している。そして物価高、増税で国民の不満がつのる中、1936年(昭和7年)2.26の軍事クーデターにあるように軍部の力が政治の世界に入っていく。
1933年(昭和8年)中国からの撤退勧告案が可決され、日本は国連を脱退し、世界的に孤立化する。が、中国での国共軍との戦闘はつづき、1936年(昭和11年)12月には西安事件が勃発し、まさに一発触発の状況となる。1937年(昭和12年)7月7日盧溝橋事件より支那事変(日中戦争)に突き進んでゆく。12月南京陥落、1938年3月上海掃討、5月徐州占領、10月広東占領、武漢占領、12月重慶爆撃・・・。

国際的にも国内的にも追い込まれた第1次近衛内閣は1938年(昭和13年)4月1日「国家総動員法」で、全ての人的・物的資源を政府統制するという戦時体制の強化をして、報道管制、のちには治安維持法により思想・報道弾圧を図る。
・・・そんな国内情勢の1938年に、父は軍人になる決断をしている。

2013年9月24日火曜日

痛いッ!また刺される。


天気:晴れ
定期的に巣箱の掃除をする。新しい巣を作る為に、古い巣を削ってゆく時に、巣くずが落ちる。この時期、その中に蛾がスムシの卵を産みつける。匹数の多い強い群れは、スムシを外に追い出すが、弱い群れは侵されてしまう。「びわ」「みかん1号」は、元気だが予断を許さない。「うめ」は順調に成長しているようだ。(写真上)
巣の中を観察すると,2層目まで巣が伸びてきている。(写真中)5月末の分蜂群としては非常に順調だ。

「びわ」の清掃をしていると、痛いッ!。左のひざを刺された。(写真中) ジャージを履いていたが、その上から刺された。黒のジャージであった事、今の時期は蜜源が少なく天敵が多く、ミツバチがハイテンションになっているから刺されやすい。


 ミツバチに刺された時は、1秒でも早く毒針を抜くことだ。刺された所を良く見ると、1ミリほどの針だからすぐ見つかる。出来たら2~3秒以内に抜けたら良いのだが。
我が家には「インセクト ポイズン リムーバー」という吸入器があり、毒が回るのを防ぐ。 (写真下)そして、炎症防止の「デキサンVG」軟膏を塗る。それでも、痛痒みが残るので、氷で冷やす。
完全に直るのは3日目。

目の回り、顔、首を刺されて、大きく腫れた場合は病院に行った方が良いだろう。 柔らかい所は、早く大きく腫れて、「四谷怪談」の世界になる。









2013年9月23日月曜日

こんにゃく料理 &いちじく

天気:晴れ
800gのこんにゃく芋で、玉こんにゃく5個と板こんにゃくが8枚も出来た。お知り合いや近所の方にもらっていただいたが、まだ、大量のこんにゃくがある。
いざこんにゃく料理といっても、なかなか少ない。昨日は「煮付け」、今日は「みそ田楽」にする。こんにゃくはお湯であく抜きをして、だしと少々の醤油で茹でる。たれ味噌と白ゴマをふって頂くが、ふっくらと柔らかく、こんにゃくの味もあり美味しい。

フランス人(長女の夫)は、こんにゃくのふにゃふにゃの歯ごたえが、微妙に好まれないようだ。まして、フランス料理にはない甘辛い味噌との組み合わせでは、味噌田楽は絶対に食べられないだろう。

いちじくは愛知県の特産物で、生産量は全国の28%を超える。スーパーではこの時期の果物の定番で、何処でも売っている。しかし、赤いいちじくがほとんどで、白いちじくはほとんど売られていない。赤いいちじくに比べ、皮が薄く糖度がかなり高い。ただ日持ちがしなく、6時間が限度か。糖度が高く、水分もあるため、すぐ酸っぱくなる為、自家栽培以外では食べられない。

2013年9月22日日曜日

手作りこんにゃくに挑戦

天気:晴れ
思ったより成長していたこんにゃく芋は870g。
皮をを良く洗って、一口サイズにカットする。長いものような固さでサクサクと切れるが、ざらざらとしている。(写真上)

3.3倍の量の湯(50度)を加えながらミキサーにかけて、ボウルに取ると、結構な多い量。(写真中①)



そのまま40分間放置。
あくが強く直接では手が痒くなるので、ゴム手袋をはめて煉る。水を吸いながらどんどん固まってゆく。 (写真中②)
色はまだピンク色でこんにゃくらしくはないが、ここで凝固剤(消石灰)を水に溶かして入れる。そしてさらに煉る。




 一部は丸くまとめ、残りはバットに載せて平らにする。
そのまま30分間放置。


 大きな鍋にお湯を沸かして、約30分間茹でて、あくを抜く。バットで伸ばしたこんにゃくは、カードで切って茹でる。

 そのまま湯に浸けたまま冷まして、完成。



味は?
そのまま、わさび醤油ではぷりぷり。
妻は、市販のこんにゃく同様に湯であくを取り、醤油、みりん、砂糖で煮込む。味がしっかり染み込んで、ふんわりの食感は初めて経験だ。・・・別物だ。


2013年9月21日土曜日

いも三昧

天気:晴れ
今日は「立待月」(17夜)、明日は「居待月」、明後日は「寝待月」。

いもについての報告です。
昨日収穫したこんにゃくいもの小芋を取り、根のひげを切る(写真上)。重さを測ると、870gもあった。2年玉を植えたときは120gだから、7倍にもなっている。予定は600gだから随分成長したものだ。

さつまいも、2回目の収穫~5株を掘る。 15個のさつまいもを収穫する。今年の種類は「べにあずま」で、最も作りやすいさつまいもだ。今年は100株も植えたから、焼芋屋さんだ。

里芋も2回目の収穫~ウーハン、早生いもを1株づつ。先日は煮っころがしだったが、本日は「衣かつぎ」にしよう。採りたての里芋を、採りたての生姜、自家製の醤油で。・・・キメはしっとりと滑らか、里芋の香りが鼻を被う。最高の幸せの味だ。