1937年(昭和12年)の盧溝橋事件から始まった支那事変の戦況はますます激しさが増していた。国内も熱く戦時体制を強化していった。
一方で、1938年(昭和13年)の父はどうだったのか?
戸籍謄本を調べると、父は五男四女の長男であった。生まれたのは1917年(大正6年)12月だ。しかし、不幸にも長女の姉は1925年(大正14年)に9歳で死亡、次男の弟が1935年(昭和10年)に17歳で亡くなっている。
そして、問題は1937年(昭和12年)からだ。四男の弟が8歳で7月に死亡し、祖母が10月に、そして、祖父が3ヶ月後の1938年(昭和13年)1月に亡くなっている。半年に3人の家族を失っていて、父にとっては相当な悲しい出来事であったに違いない。
当時の徴兵制度があり、満20歳になると4~5月に徴兵検査を受け、合格すると翌年1月には入隊する。兵役期間は陸軍2年、海軍3年だ。ただし、戸主と長男は兵役から免除される。
満20歳になっていた父も、1938年(昭和13年)4~5月に徴兵検査で甲種合格になった。が、父は、長男で家業の農業に従事しており兵役免除の対象者で、むしろ同年で17歳となっている三男が20歳になれば兵役義務があった。父が兵役に服すれば、三男は次の免除対象者となる。
1938年(昭和13年)12月1日付けで志願兵として入隊した。種々の要因が考えられるが、軍人を志願した本当の理由は判らない。しかし、社会が支那事変、国家総動員法の施行など激しい勢いで変わってゆく中、不安や危機、そしてナショナリズムの高揚も感じていたかもしれない。