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日本の歴史のなかで、どうしても理解できないのが終戦(1945年8月15日)の前後の、人々の思想の変化(軍国主義から民主主義)と、もうひとつは戦後の復興だ。東日本大震災以降は特に興味深く調べてみた。戦後の日本は215の都市で空爆(広島、長崎の原爆を含む)をうけ、ほとんどが焦土と化していた。復興院(総裁:小林一三)が設置されるも、GHQの反対やドッジ・ラインによる緊縮財政でなかなか実現できず、国で基本方針をつくり、115の戦災復興都市に具体策を委ねた。結果として、復興に対しての熱意の強い都市(名古屋市、神戸市、仙台市、広島市など)と弱い都市とはギャップが生まれた。100m道路や平和公園、並木公園などは、反対意見もあっても復興熱意のなせる業であろう。金もない、道具もない、機械もない、ないないずくしの中での復興計画、そして復興は奇跡と言えるかもしれない。
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