天気:雨のち曇り
湯豆腐をいただきながら思う事。
大阪に住んでいたときに、何度か「湯豆腐」を食べに京都に行った。30年前のことで記憶は薄くなりかけているが、美味しい豆腐の味だけは覚えている。
当時から、秋から春の京都らしい料理は湯豆腐であった。何故か京都なのか?
当時、京都市内には百貨店はあったがスーパーが1店もなく、新規出店が厳しいめずらしい都市であった。庶民は、豆腐やうどん等の伝統的な食品は、昔ながらの専門店や市場で購入をしていた。家族だけでやってる豆腐屋さんも町のあちこちにあり、大量生産の機械を使わない伝統的な作り方で美味しい豆腐を作っていた。湯豆腐といえば”南禅寺の湯豆腐”が有名だが、嵐山にも、祇園にも、東山にも美味しい湯豆腐の店はたくさんある。豆腐屋さんの数だけ、湯豆腐の店がある。京都の湯豆腐の理由はそんな所にあるかも知れない。
今もそうだと思うが、京都の湯豆腐は豆腐だけなのだ。野菜等の具材も一切ないし、出汁は昆布だけで、薄めのポン酢でいただく。要は、豆腐が美味しいから、豆腐が主役で脇役が要らないのだ。
湯豆腐は決して、煮てはダメです。熱い湯の鍋に入れて、ゆらりゆらりとするぐらいが良い。
*我が家の豆腐は京都の湯豆腐に劣らず、実に美味しく、30年前を思い出す。
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