2013年11月10日日曜日

葬られた戦争履歴⑪:ラシオ挺進作戦

天気:雨
軍隊手帳の中に日本語読みの地名が多い。
 盤谷・・バンコク  泰・・タイ 佛印・・ベトナム(現)  金辺・・プノンヘン
 馬来・・マレーシア  昭南島・・シンガポール  蘭責・・ラングーン

1942年(昭和17年)2月15日パレンバン作戦が終了 したが、金辺に駐留しいた父(第1連隊)は、事後の作戦参加の為、馬来のスンゲイパタニに列車で行く。
  2月18日 作戦参加の為、金辺 出発
  2月24日 スンゲイパタニ 着 同地警備 ~3/8金辺に帰還

3/9ジャワ作戦が終了して、挺進隊にビルマ転進命令<ラシオ挺進作戦>。作戦は中国南部の雲南軍第56師団がビルマ北部から侵攻するにあったって、挺進隊がラシオで降下し挟撃・包囲するというものだ。第1連隊大隊と第2連隊中隊との集成連隊(武田少佐連隊長)で、挺進飛行隊45機、飛行第98戦隊(物)25機、飛行第64戦隊(加藤隼隊)30機、偵察機、地対空機の大作戦であった。
   3月18日 金辺 出発 ~3/21盤谷埠頭 出帆
   3月28日 昭南島 寄港 ~4/2 同地 出帆
   4月12日 蘭責 上陸
作戦の実行は5/5の予定であった為、随分ゆったりとした移動だ。が、第56師団の進撃速度が速く 挺進団は4/27~28を具申したが、飛行第98戦隊の集結が遅れ、4/29の天長節(天皇誕生日)に決行する事になる。しかし、当日の朝発進した天候偵察機が航空事故で連絡が取れず、天候を把握出来ないまま、降下部隊はラシオから500km以上離れているトングー飛行場を発進してしまった。結局、悪天候で降下できず、発進後中止命令が出て引き帰った。
   4月27日 作戦参加の為、トングーに前進
   4月29日 ラシオ挺進作戦に参加 
作戦は失敗に終わったが、第56師団は、4/29正午、ラシオに突入し占領した。

結局 、父は作戦に参加するも、またしても作戦を実行するに至らず、内地帰還するのであった。
   5月24日 蘭責埠頭 出帆
   6月29日 門司港 上陸

そこで、彼ら(挺進第1連隊)を待ち受けていたものは・・・

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